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1月27日(土)
1 「もの語り・みやぎ」
―七ヶ宿町『白炭職人』
みなさん、おはようございます。今日の「もの語り・みやぎ」は、 わたし『白炭』が皆さんに、自然と共に生きてきた、ある炭焼き職人をご紹介します。
どうか最後までおつき合い下さい。
白石市にある小高い山の上に職人の炭焼き小屋があります。 白炭職人、佐藤石太郎さん。60年以上も白炭を焼いてきました。 私、白炭は黒い炭「黒炭」と比べて作り方が違います。
まず、私の焼かれる窯は、土の窯ではなく石窯です。 そして窯の温度も黒炭よりも高温で、焼き時間は短く2日ほどで焼き上がるのです。
ひと冬で焼き上げる白炭はおよそ200俵。ほぼ毎日のように石窯に向います。
石太郎さんが私にこだわるのは理由(わけ)があるんです。 それは私の性格が堅くて、火の持ちが良く煙が出ないこと。 おまけに脱臭効果もあるからなんです。
そんな、優れた特徴を持つ白炭は、職人の知恵と技によって作られます。
○白炭職人 佐藤石太郎さん
「(炭焼きの楽しみは)今度はどういう炭でるか、同じ原木入れてどのくらいの量とれるか、その楽しみだね。」
白炭というとウバメガシを使った備長炭が有名ですが、 石太郎さんの白炭は同じく上質なナラの原木を使います。 また、白炭を作る時に出る煙が水蒸気に溶け込んで、そのまま煙突をつたわり
液体となって取り出される木酢液(もくさくえき)も、殺菌、消臭作用をもち 様々な用途に使用されます。
焼き上がった白炭の量は元の原木のおよそ5分の1。 毎回、違った表情の白炭が、石太郎さんにその姿を見せます。
○白炭職人 佐藤石太郎さん
「一人で喜んだり、がっかりしたり『あれ〜今日はうまぐながった』とかね、こういう方法のほうがいいとかね。その繰り替えし何だけどね(炭焼きは)。まぁ、40年も50年も炭焼きしてて、これぞ本当に気に入った炭っていうのはね1年に2〜3回しかないんです。」
実は石太郎さん、20年前まで七ヶ宿で炭焼きをしていました。 しかし、ダムの完成と共に炭焼きも衰退し、石太郎さんの家もダムの底に沈みました。
時代(とき)は流れて、現在。石太郎さんの前に一人の青年が現れました。 佐藤光夫さん。6年前に京都の出版社を辞め、山に生きる炭焼き職人に憧れて、
ここ七ヶ宿に移住してきました。
師匠、石太郎さんに炭焼きや山での暮らしを教わりながら 自分で窯を作り、3年目の炭焼きに精を出します。
○佐藤光夫さん
「はじめ石太郎さんに会った時は、うちのかみさんも一緒に会ったんですけど、『いい人に出会えたね』って最初から言ってくれましたし、彼女もここでの暮らしを、まぁいろいろありますけども楽しんでますし、娘も楽しいようですし。とても恵まれているなぁ、幸せだなって思います。(師匠:石太郎さんは)静かな力強さを持った人だなって思ってます。やっぱりダムで移転させられて、白石に(家が)あってもなおかつ七ヶ宿に来て、炭焼いたりだとかいろいろしいるわけですし、そういうこといろいろ考えますと山に対する思いっていうのか、故郷に対する思いって言うのがすごく、僕らにはとても分かりえないだろうっていうものが、そういうものを感じます。」
石太郎さんも、七ヶ宿で生きてきた長年の知恵を全て託そうと 光夫さんの炭焼きをいつまでも見守り続けます。
○白炭職人 佐藤石太郎さん
「まぁ、見ず知らずの人と交流できること。早い話が光夫さんのような後継者ができた。そういう点では、ほんとにね、俺は恵まれてるな〜ど思って。なんていうか神様はいるかいないか分からないけどね、感謝しています。世の中にね。」
地球上に植物のある限り無限に生産できる炭。白炭の魅力にとりつかれて60年。 山と炭を相手に生きてきた一人の職人は今日も炭焼きに精を出します。
||||||||||||| アンさんのコメント |||||||||||||
炭は昔から日本人の生活に根付いてきた、奥深いものだと改めて感じました。 大学時代、長野県で職人さんたちのインタビューをしました。戦後、高度成長で社会が急激に変わったことによって彼らの仕事は主流ではなくなりました。代々に伝わたって受け継いだ仕事は自分の代で終わるのは多少寂しいが、無理に息子に継がせるのはできないし、時代の波だからしょうがないんじゃないですか、と彼らはよく言っていました。
石太郎さんと光夫さんはある意味で新しい形で炭の文化を受け継いでいるのは、炭のようにあたたかい気持ちになります。
2 「ハイ!みやぎです」
―バリアフリー社会をめざして(前編)
宮城県は高齢者も若者も、障害のある人もない人も全ての人が安心して暮らせる社会の実現をめざしています。「バリアフリー」とは一般に、建物や道路の段差など、移動の障害となっているもの、そして人々の心の中にある「目に見えない壁」、いわゆるバリアを取り除くという意味です。
「バリアフリー」は私たちの身近な所で取り組まれていますが、 障害のある方や高齢者のためだけの対策ではありません。 妊娠中の女性や乳幼児を抱えた人にも、今後の高齢化に対応するためにも重要な政策です。
県では条例を制定してバリアフリーに積極的に取り組んでいます。
今日は誰もが住み良い福祉のまちづくり、バリアフリーの環境整備をご紹介します。
こちらでは耳の不自由な方でも利用できるようにと公衆FAXを設置しています。 また、施設の各所には大きく分かりやすい案内標識を設け 施設内の細かなところまでバリアフリー環境を整備しています。
県では条例の整備基準に適合した施設にご覧の適合証を交付しています。 県が交付した施設は71ケ所で、仙台市の交付施設をあわせると県内で210ケ所にのぼります。
車椅子を利用している方や体の不自由な方にとって外出中に困ること、不便を感じることの一つにトイレの問題があります。特に車で遠くに出かける時などはとても気になります。
そこで、道路からでもその施設内に車椅子対応のトイレがあることが分かるようにと、トイレ標識の設置をすすめています。車椅子に対応したトイレとは、段差がなく間口が広く洋式で手すりがあるトイレです。車椅子の方専用のトイレを示すものではなく、高齢者やケガをしている方にも使用しやすいトイレなのです。また、県では施設やお店などで車椅子対応のトイレ標識の設置にご協力頂ける方を募集しています。ご覧のインターネットホームページ上でも情報マップを掲載し施設のバリアフリー情報を提供しています。
『宮城県夢プランホームページ』
www.pref.miyagi.jp/yumeplan
○ふくしマップ宮城 副代表 内川陽三さん『www.fukushimap.org』
「(ふくしマップ宮城は)県内の障害者・高齢者に使いやすいトイレや施設を取材して、それを広報して皆さんに知って頂くための団体ですね。それをインターネット上のホームページにすることによって公開しています。寝るところとかはなんとかなるわけですけれども、トイレというのは非常に生活に密着しているものですし、これは他に変えようがないものです。それで、こういう専門のトイレじゃないと私たちは使用できない訳なんですね。で、そのところを本当に考えると、これ(体の不自由な人用トイレ)は必要不可欠で非常に生活に密着したもので、それを分かりやすい形で表示することは大変重要なことだと思います。」
県内各地でもバリアフリー化が進んでいます。県では駅のホームにエレベーターを設置することを支援し、より安全で楽に乗り降りできる環境づくりを進めています。また、道路と歩道との段差をなくす「まごこロード」整備事業を実施しています。このように県では身近な所からバリアフリーの環境整備に積極的に取り組んでいます。しかし真のバリアフリー社会を実現するためには、目に見える環境整備とともに、皆さん一人一人の「心のバリアフリー」がとても重要です。
心と心が通じ合う福祉社会を目指して、来週は「心のバリアフリー」についてお送りします。
||||||||||||| アンさんのコメント |||||||||||||
バリアフリー社会になるのには細かなところまで、いろんなことが必要だと感じました。 テクノロジーをもっと生かせばバリアフリー社会づくりの可能性や形がどんどん広がっていくんじゃないかなと思います。しかし、最後に問われるのはわれわれのハートのように思います。
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