
小原ディレクター(左から2番目) |
制作ディレクターから一言
「身近」で「遠い」魚、マグロ
日本人にとって最も馴染みの深い魚、マグロ。世界一のマグロ消費国として今日も膨大な量のマグロが日本人の胃袋に消えていきます。でも私たちは、長い間日本の需要を支えてきた「国産マグロ」が、どんな現場で、どんな苦労のもとに捕られているのか知りません。何故なら日本の遠洋はえ縄船の現場は日本から数千キロも離れた洋上だからです。まさにマグロは日本人にとって「身近」で「遠い」魚なのです。
ある青年との出会い
今年4月、私は国際的な漁獲規制を機に行われた「減船」を取材する過程で一人の青年と出会いました。彼の名は宮崎県・島浦島出身の今原隼人さん(23)。高校を卒業後、航空自衛隊、郵便局アルバイト、そして自動車メーカーの契約社員として働いてきた今原さんは「待遇」よりも「やりがい」や「充実感」を重視するタイプ。「どんな職場でも懸命にやってきた」という今原さんの中でいつしか「海の仕事につきたい。漁師になりたい」という思いが募っていました。それは子供の頃から海を身近な存在として感じてきた彼が、島を離れ街で暮らす毎日の中で感じた「渇き」のようなものだったのかもしれません。そして今年2月、今原さんは不況のあおりを受けて自動車メーカーでの仕事を失ったのを機に、遠洋マグロ漁師の道を歩み始めたのです。普通高校を卒業した彼にとって海での仕事は全くの未経験、「ゼロからの出発」です。私は彼が直面するであろう苦労や苦しみを、そして一人前の漁師として成長していく姿を追いたいと思いました。同時に身近で遠い遠洋マグロ漁の現場を撮りたい…と。漁師はマグロを追い、捕る。私は一人の青年を追い、漁師たちの姿を撮る…のです。マグロ船への乗船取材にはクリアすべき幾つかの障害がありましたが、様々な幸運に恵まれ、数十年の間「不可能」とされてきたテレビ取材が実現しました。
大シケの海
今原青年、そして私が乗り込んだのは日本屈指の遠洋漁業基地として知られる気仙沼のマグロ船。主な漁場は日本の遥か彼方、オーストラリア大陸の西方に広がる南インド洋でした。この漁場のメインターゲットはミナミマグロ。ミナミマグロはクロマグロに匹敵する高値で取引されるマグロです。漁期の8月は南半球の冬。南極から秒速20m以上の風が吹き付け、ビルの3階(約10m)にも及ぶうねりが押し寄せる大シケが続きます。大自然の猛威の前では409トン、全長50mのマグロ船は木の葉のように翻弄されるばかりです。ひどいときは部屋で横になっていても吼えるような風のうなりが響いてきます。船員たちは頭から潮をかぶり軍手で顔を拭いながら縄を巻き上げ、連日20時間に及ぶ作業を続けます。転落、転倒による怪我、最悪は死。マグロ漁の初日、荒れる海を前に呆然としていると「こんなの上ナギだ」と言う船頭。そう、荒れる海はマグロ漁師にとって特別なことではなく日常なのです。そして日本から遠く離れ、家族や友人と離れ「逃げ場のない」船上で10ヶ月以上も生活することも。強靭な肉体はもちろん、精神的にタフでないと遠洋マグロ漁師は続けられないのです。
私が乗船していた5ヶ月の間に今原青年にとって様々な壁が立ちはだかりました。孤独、予期せぬ怪我、仕事が覚えられないことから来る焦り、苛立ち。彼はその度に立ち止まり、時にはもがき苦しんでいるように見えました。そんな彼を見守り、手を差し伸べたのは人生の殆どを海で生きてきた先輩や、同世代の仲間たちでした。彼にとっての仲間とは言葉が余り通じないインドネシア船員達です。彼はそうした助けを得て、一つずつ壁を乗り越えていきます。
「風に吹かれて」
今、振り返ってみると海の上にはいつも風が吹いていました。
体を揺さぶるような強風。頬を撫でる心地よい風。満月が照らす海を渡る風。
今原青年は風に吹かれながら、何を考え、何を見つめていたのか。それは彼がマグロ船に乗っていなければ気づかないまま歳を重ねていた事かもしれません。この番組はマグロ漁師として生きるスタートラインに立った一人の青年と、マグロ漁師として生きてきた男たちの5ヶ月間の記録です。
今、この瞬間も彼らは陸から遠く離れた洋上でマグロを追っています。
ディレクター 小原 啓 |