1945年の仙台空襲から7月10日で77年です。仙台市青葉区では当時の被害を振り返る企画展が開かれています。また、戦没者の慰霊祭も行われました。

 終戦間際の1945年7月10日未明、アメリカ軍の爆撃機による1万発以上の焼夷弾で1399人が亡くなり、仙台の中心部は焼け野原となりました。

 その記憶を伝える戦災復興展が、青葉区のトークネットホール仙台で開かれています。

 同じ7月10日に空襲を受けた岐阜など3都市の被害を伝える写真や、コロナや高齢化で活動が難しくなっている語り部の戦争体験が紹介されています。

 また、10日は仙台空襲など第二次世界大戦の犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。

 新型コロナの影響で式典を中止し自由献花のみとなり、遺族会の会長らが献花に訪れ、平和への決意を新たにしました。

 仙台市遺族会杉澤武子会長「防空壕の中でB29の音を聞いたので、それを思い出しました。これからは絶対に戦争はしないで平和な時代を過ごしてほもらいたい」