大学を卒業したばかりの若者が、中小企業で経営者の右腕として働き経営スキルを学ぶという宮城県女川町で始まった取り組みが全国に広がっています。旗振り役は、東日本大震災をきっかけに大企業を飛び出し、復興支援を続けてきた男性です。

 レタスの栽培を自動化した、宮城県美里町の工場です。東京ドームが入る敷地で1日に3万から4万株を収穫できます。
 この大きな工場で、会社の中枢である経営企画の部署でデジタル化や商品開発を担当するのは、まだ20代の若者です。

 舞台ファーム吉永圭吾さん(25)「紙で書いていたものをアプリでボタンを押して日付や品種を記録すると、データを基に今どこに何が植わっているということを、バーチャル工場のように見える化する仕組みをつくりました」
 舞台ファーム西古紋さん(28)「(従来より小型の)新たな商品ラインナップが作れるんじゃないかというところで、工場長と相談して新商品の開発の検討をしていたところです」

 将来は起業を目指す2人は、ある仕組みを使ってこの会社で働いています。
 舞台ファーム針生信洋取締役「私たちにとっても2年間で結果を出してほしい。彼らも2年間で結果を出さないといけない。この縛りがある中で非常に有意義に時間を作ってくれている」

企業を目指す

 学生と企業との橋渡し役となっているのは、仙台市の一般社団法人VENTURE FOR JAPANです。新卒や第二新卒の若者を2年間の期間限定で中小企業の社員として、それも新規事業や事業拡大の責任者として働いてもらいます。
 これまでに26人を送り込んでいて、2年間の就職期間を終えた若者はそのまま企業に残る人もいれば、会社を立ち上げたり大手企業に飛び込んだりするなど様々です。

 VENTURE FOR JAPAN代表小松洋介さん「今回、キャリア面談公開ということで、僕ら自身も初めてのことでドキドキしているんですけども」
 この日は、プログラムに関心を持つ大学生向けに、実際に行うキャリア相談の様子を模擬公開しました。
 小松洋介さん「話をするってことが好きというよりも、自分が何か関わることによって相手が喜ぶのが好きっていうことなんですかね」

 仙台市出身の小松さんは大学卒業後、リクルートに入社して営業担当として宮城県の沿岸部などを回りました。札幌市に勤務していた頃、東日本大震災が起きました。
 小松洋介さん「一番最初のキャリアを築いた場所が、大変な状況になる映像が飛び込んで来て、見たことがショックだったんですよね。数日後に宮城県に戻って、現地をリアルに見た時にこのまま自分は普通に仕事してていいのかと考えるようになってですね、震災から半年経った時に、いよいよ気持ちがあふれてしまったので辞めて宮城県に帰ってきたんですね」

まちづくりに関わる

 小松さんは、無職のまま被災地を回り女川町のまちづくりに関わり始めました。震災から2年後にNPOアスヘノキボウをつくり、被災地に来る学生インターンの斡旋や創業支援をしてきました。その中で直面したのが、地方で企業の経営を担う人材の不足です。
 小松洋介さん「再建して本当に頑張って素敵な会社をつくって、女川町から日本とか世界に挑戦していく会社はできたものの、それを動かせる人がまだまだ足りない」

 災害からの復興を学ぶアメリカでの研修で、新たな出会いがありました。地方のスタートアップに優秀な新卒を送り込むプログラムです。
 アメリカ大統領選への立候補表明で注目されたアンドリュー・ヤン氏が始めた取り組みをモデルに、2018年に女川町のNPOアスヘノキボウの事業としてVENTURE FOR JAPANを始め、今は仙台市を拠点に活動を全国に広げています。

 この日は、女川町で震災以来共に復興に汗をかいた地元の人たちとの飲み会です。
 シ―パルピア女川運営会社社長「こんなに怪しい人間いないよなというのが第一印象。一生懸命、女川町のために動いてくれるよそ者。これがないと絶対、うちの町の今の復興ってなかった」
 蒲鉾店高政社長「小松の悪いところは2つなんですよ。1つ目は優しすぎるのと2つ目はメッセージが長すぎて延々とメッセージ。震災直後、色々な人が来ては通り過ぎて行って話だけ聞いたらそういう中の1人かなと思ったら、今じゃ女川町の宝物ですよ」

女川町が原点

 街づくりのNPOアスヘノキボウは、小松さんから若い世代に運営を引き継ぎ、今も地域の中心になっています。小松さんは、仙台市を拠点に著名な経営コンサルタントの冨山和彦氏らの支援を受けて全国にはばたく一方、原点は変わらず女川町です。
 小松洋介さん「あの状況を見たら諦めてもおかしくないような状況を、みんなが未来を信じてやってきたのが女川町で、僕らがやっているVENTURE FOR JAPANもそこの原点に立ち返るとまだまだこれからだと。挑戦して日本を引っ張るリーダーをどんどん増やしていく。かつ地方企業もより良くなる。そんなことを実現したいと思っているので、VENTURE FOR JAPANという働き方を世の中の当たり前にする。それが僕らの目指していることかなと思いますね」