震災で大きく変わってしまったふるさと。かつてそこにあった日常に思いをはせてほしいと震災前の写真を展示する企画展が仙台市若林区で開かれています。そこには、かけがえのないふるさとの光景が、そして、人々の営みがありました。

 仙台市若林区藤塚。この日、ここを訪れたのは、震災伝承施設3.11メモリアル交流館で企画展の制作などを担当する渡辺曜平さんです。

 渡辺曜平さん「あっちの通りが、この通りなので、家があって森があって、うちの実家がここの森の間に道があるんですけど、ずーっと入っていく。道だけは残っているのでなんとなく分かる」

 渡辺さんの祖母が暮らしていた思い出の場所。津波で家は全壊しましたが、津波で家は全壊しましたが、祖母は避難して無事でした。

 渡辺曜平さん「小さいころは、泊まりに来て家から閖上の花火が見えるんですよ。ベランダで親戚の子どもたちと一緒に見たりとか」

 津波で奪われた、ふるさと。震災から11年。復興工事で、新たな街に生まれ変わろうとしています。

 渡辺さんは、かつての街並みの面影が薄れていくのを目の当たりにし、もう一度、震災前の景色や暮らしを振り返る機会が必要だと考えていました。

 そんな時、ある写真と出会います。2021年3月に住民から送られてきたもので、撮影されたのは1971年。

 渡辺曜平さん「荒浜の釣りの風景ですね」

 かつて豊かな自然に恵まれていた仙台市の沿岸部。撮影から50年以上が経った今は、釣りをする人の姿も、堀に泊められた船も、周りの住宅もありません。

 ネガとともに同封されていた手紙には、津波で被災した沿岸部にも、のどかな時間が流れていたことを知ってほしいとの思いが綴られていました。

 渡辺曜平さん「写真てその時にしか撮れないので、この写真を見た時に、こういうふうに震災前に撮った写真を持ってる方がたくさんいらっしゃるんじゃないか」

 ここにあった日常に思いをはせてほしい。渡辺さんは、震災前の写真を展示する企画展を開催することにしたのです。

 渡辺曜平さん「だんだん痕跡が消えていくので、元の風景を思い出しづらくなったりとか、新しくここに来る人は元に何があったのかは知ることができないので」

多くの写真が寄せられる

 渡辺さんは震災前の写真の提供を呼び掛けました。すると、2000枚以上が集まったのです。そして、始まった企画展。かつて住んでいた住民たちが訪れました。

 「バス停で子どもたちが遊んでるのとか、海水浴場で楽しかったなという思い出はあるけれどね」

 ふるさとの風景がよみがえりました。

おらほのアルバム~縁側で見るまちのオモイデ写真~

 3月1日から始まった企画展、おらほのアルバム~縁側で見るまちのオモイデ写真~。海水浴客が行き交ったバス停。地域の人が集った商店。雨の日も雪の日も毎日通った通学路。展示された写真の横には、訪れた人から「なつかしい」「毎日通っていた道がまた見られてうれしい」といった書き込みも。

 藤塚で、1970年ごろに撮られた写真。地区の五柱神社で子ども会の夏祭りが開かれ、地元の小学生たちが記念撮影をした1枚です。

 この写真を提供した東海林義一さん(80)。藤塚地区で生まれ育ち、震災前は町内会長を務めていました。写真は、当時、進められていた神社の改修工事の記録用に撮影し、津波を逃れた会社のパソコンに残っていたものです。

 東海林義一さん「(神社は)遊び場だよね子どもたちの。町内の一番核というか昔から」

 沿岸3地区の町内会で管理していた五柱神社。残されたのは石碑と狛犬だけでした。現在は再建された社殿や本殿とともに、静かに地域を見守っています。

 東海林義一さん「話ばかりじゃなかなか伝わらないもんね、写真はそういうことにおいては、大事なものかなと思いますよね」

 企画展が始まって最初の週末。写真の前で足を止め、じっと見入る住民たち。

「ここなんか私の同級生の実家なんだよね。6地区の合同の運動会をやったんだよね」

 懐かしい風景を前に、思い出話に花が咲きます。写真をきっかけにかつての住民が交流すること。それは、企画展のもう一つの願いでもありました。

 渡辺曜平さん「忘れかけている、11年も経つとだんだん薄れてきている。震災前の記憶をもう一回みんなで思い出したり、知ったりする機会を作れればなと。これからもどうやって来ていただけるか、関心を持っていただけるか。もうちょっと違う切り口でもって、震災の関心を持ってもらうための取り組みが必要なのかなと」