南米のチリで発生した大地震による津波が日本各地を襲ったチリ地震津波から、5月24日で64年です。41人が犠牲になった宮城県南三陸町では、語り部が当時の状況を伝えました。
1960年5月24日のチリ地震津波では旧志津川町、現在の南三陸町で41人が亡くなりました。
南三陸町では当時の記憶を忘れないよう、教訓を伝える行事が毎年実施されています。南三陸311メモリアルで、当時高校3年生だった仲松敏子さん(81)が語り部となり、津波の様子を来場者に伝えました。
仲松敏子さん「いつも、なみなみとある川の水が無くなってザァーっと引いて岩がボコボコ出ていた。地震があったら自分の命は自分でだからとにかく高台に逃げる」
来場者「地震が起きて津波警報が出たら高台にすぐに逃げるということは、どんなに静かな津波の高さだったとしてもその意識は持った方が良いんだなと」
南三陸町役場の前では、職員たちが正午のサイレンに合わせて犠牲となった人々に黙とうを捧げました。
南三陸町三浦浩副町長「この地域には地震、津波というのは何度となく押し寄せておりますので、災害に備えるといった思いを強くする日と感じております。これまでの教訓を生かしながら訓練を続けているところでありますので、訓練を通して実際に頭で考えなくても行動できるような状況になっていけたらと思っています」