仙台市の桜の名所として知られる榴岡公園ですが、歴史をひも解くと心温まるエピソードがありました。
江戸時代中期の約300年前に描かれたとされる榴ケ岡花見図屏風が、仙台市博物館に展示されています。
高さ1.5メートル幅3.2メートルと大迫力の作品で、当時の榴岡公園や榴岡天満宮に加えて、桜の花を見上げて指さす人や桜の木の下で弁当を広げにぎやかそうな人たちが描かれていて、今と変わらない当時の花見の情景が伝わってきます。
榴ケ岡花見図屏風は2025年12月、宮城県の指定文化財に指定され、榴岡公園の歴史や当時の仙台の人々の文化を知る意味でもとても貴重な資料です。
仙台市博物館水野沙織学芸員「仙台藩の4代藩主である伊達綱村の時代に釈迦堂が建設され、その時に桜の場として整備されました」
仙台藩の4代藩主、伊達綱村は大年寺や塩釜神社など現在も残る多くの寺や神社を造ったことや、学問を奨励して仙台藩の歴史を編さんしたことなどで知られています。
仙台市博物館水野沙織学芸員「綱村は自分の母親を大変尊敬しておりまして、母親が大事にしていた仏像を納めるために釈迦堂を建てています。仏像に手を合わせるだけではなく、人々が集うことで母親の供養になると考え遊楽の場所を造ったと考えられます」
綱村は当時、伊達家のお家騒動でわずか2歳で藩主の座に就き、母親たちの支えの下で危機を乗り越えます。
幼少時から支えてくれた母親を敬って、遺言に従い古くから歌枕として親しまれていた榴岡に釈迦堂を建て、更に桜を植えて人々が集まる場所にしたということです。
仙台市博物館水野沙織学芸員「今も私たちの花見の場所として、目的が変わっていないことが面白いところかなと思います。桜の名所としてずっと続いているということは、綱村たちの願いがかなっているというか、思い通りになっていると思っているんじゃないでしょうかね」
仙台市では花見シーズンが終わり次第、榴岡公園の改修を始め「榴ケ岡花見図屏風」を基に、地面の舗装など整備をすることにしています。