東北電力は、女川原発2号機について11月ごろの再稼働を目指しています。再稼働に向けた工事で人の出入りが増え特需に沸いた宮城県女川町は、工事が完了した今、原発と共存する地域経済の在り方が改めて問われています。

 女川町の中心部にある宿泊施設の駐車場で午前7時前、1台の大型バスが作業員を乗せて動き始めました。向かう先は女川原発です。

 作業員が宿泊するSwimmy Inn Onagawaは、不漁のサンマに代わる経営の柱にしようと、水産関係やスーパーなど地元企業が協力して2023年4月にオープンしました。大半は長期滞在向けの1人部屋で、この施設が捉えたのが原発作業員の宿泊需要でした。総支配人を務める鈴木伸輔さん(39)は、フル稼働率だった2023年は特需だったと振り返ります。
 Swimmy Inn Onagawa鈴木伸輔総支配人「鍵を見たら分かるんですけどね。預けていく人もいますけど、(宿泊者のピーク時は)この鍵がほとんど無い状態ですよね」

稼働率が半分に

 ところが、工事が一段落すると部屋の稼働率は半分ほどに下がりました。
 Swimmy Inn Onagawa鈴木伸輔総支配人「まさにうちもそうですし、この町の他の宿泊施設もそうですし、人が今ガクッと減っているような状態になっていますね。どうやってお客さんに来ていただくかを、ある意味平常ですよね、ちゃんと考えなくちゃいけない時期ですね」

 再稼働を目前に控えた女川町のにぎわいは、原発を出入りする人たちに大きく左右されます。女川原発で働く人の数は2号機の安全対策工事を受けて膨らみ、ピークの2023年夏には6000人近くに達しました。これは女川町の人口に匹敵する規模です。しかし、工事を終えた直近では、3000人程度と半分に減っています。

 地元の弁当店、すずきやです。安くてボリュームのある弁当が人気のこの店も、原発からの注文はピーク時の半分以下に激減しました。
 すずきや鈴木雅之代表「仕方がないですね。こればかしはね。お客さんあっての商売なので。これだけは仕方がないと思います。東北電力さんの方にもある程度の工事と言いますか、地域の仕事をある程度確保してもらいたいとの要望はありますね。やっぱり一応、お互い協力し合ってますからね。そこはね」
 鈴木さんは新しい販売先の開拓にも挑戦するつもりです。

注文が半分に

 半世紀近く前に建設が始まった女川原発、今に至るまで地元の経済界は原発との共存共栄を図ってきました。
 90近くの業者が加入する地元の商工組合は、日用品や食品から建設、タクシーなど幅広く原発からの注文を一手に引き受けています。

 女川商工事業協同組合小野寺武則代表理事「色々な主義主張があるんですけど、生活っていうものがありますからね。東北電力がなければ、原発がなければ商売的なものも大変苦しいような状況になるんじゃないかと思いますよ」

 行政にとってもまた、原発は大きな存在です。1万平方メートルを超える人工芝のグラウンドを持つ女川町で唯一の小中学校は、建設費約50億円のうち7億円が原発関連の交付金で賄われています。震災後の原発の停止中も毎年7億円から14億円ほどが町に交付され、保育所の人件費や家庭ごみ収集の委託費にも使ってきました。

「原発は大きな存在」

 一方、安全対策工事で課税対象となる設備が増えたことにより、固定資産税は増収が見込まれています。
 須田善明女川町長「プラス10億ちょっと初年度は見込んでいます。何らかの事業で使うのか、積み立てて長期的なものに対して備えていくかは2025年度予算編成やそれ以降の予算の中で考えていく」

 原発マネーに依存しているとの批判もありますが、町に固定資産税が入る点は大企業を誘致した他の自治体と同じだと主張します。
 須田善明女川町長「大衡村はトヨタ依存だとか、大和町は東京エレクトロン依存かというお話になるみたいなことで、原発だとなぜか依存という表現になるのは、少し違和感を正直感じざるを得ない」

 一方、脱原発を訴える東北学院大学名誉教授の菊地登志子さんは、原発が地元にもたらす恩恵は一時的なものだと指摘します。女川町の建設業の就業者数は1号機から3号機が建設される度に増え、その後減少に転じています。固定資産税も、原発設備の会計上の価値が年を追うごとに下がることに合わせ減少していきます。
 東北学院大学菊地登志子名誉教授「原発自体の恩恵というのは、本当に限られた区間だけでしかないということなんですよね。その期間は確かに良いけれども、終わったら元に戻る。だから『2号機を』。また終わったら落ちる。じゃあ『3号機を』。結局その恩恵を続けようとすれば、新増設を続けるしかないんですよね」

 原発の建設に合わせて上下する需要の波をどう見るか、それは女川町の人たちの選択だと訴えます。
 東北学院大学菊地登志子名誉教授「リスクを受け入れてもその波を女川に持ちたいのか。それともそのリスクを将来のために無くして、その中でできる女川のまちづくりを考えていくのか。この選択だと思うんですね」