終戦前夜となる80年前の14日、秋田市では「日本で最後」とされる空襲がありました。ただ、公的な記録は少なく、空襲を生きのびた女性は風化への危機感を強めています。

 土崎地区に伝わる伝統行事。祭りを見つめる伊藤津紀子さん(84)は終戦の前夜、この地で起きた土崎空襲を体験しました。

 終戦前夜から翌未明にかけ、アメリカ軍が日本石油秋田製油所を目標におよそ1万2000発の爆弾を投下。地域住民や子どもを含む民間人96人が犠牲になったとされています。

 当時5歳だった津紀子さんは、自身の体験を地元の子どもたちに伝える活動をしています。

伊藤津紀子さん 「うちで掘ってる防空壕に連れて行かれました。うちのおばあさんが駆けて来て、『ここにいれば皆死んでしまうから、山に逃げねばいけね』。帰ってきたら家はなくて、大きな穴が2つ開いていました。自分の人生がそこで終わっちゃうんだよ。12歳とか13歳で」

津紀子さんの夫 伊藤紀久夫さん(85) 「風化させないように考えています。地元の小学校の子どもでさえも、自分のおじいちゃん、おばあちゃんから空襲のお話聞いたことがあるか?と聞いて、誰も手を上げる人がいないのにびっくりしました」

 子どもたちが学ぶ教科書にある変化が起きています。秋田市などで使用される小学6年生の社会の教科書。空襲の被害を示す地図で、昨年度改訂版から秋田市土崎地区を示す印が消えました。

 出版する東京書籍によると、「特に被害が大きかった都市名を加え、学習をより深めやすくしたい」とのことです。

 津紀子さんは「戦争を知らない子どもたちに、秋田には空襲がなかったと思われてしまうのではないか」と危機感を募らせています。

 土崎空襲は民間人の犠牲者についての公的な記録がないため、津紀子さんの夫・紀久夫さんが会長を務める「土崎港被爆市民会議」が公開に向けて一人ひとりの身元の調査を進めています。

伊藤津紀子さん 「やっぱり戦争はだめだ。(戦争を)起こさせないために、秋田にも土崎にも空襲があったと知ってもらうためにこれ(伝える活動)をやりたいと思ってますね」

 体験した“本当のこと”を必死に伝え続けてきた津紀子さん。「最後の空襲」の記憶と記録を残すため活動を続けます。