15日で終戦から81年です。太平洋戦争中、宮城県気仙沼市で民間の漁船や漁師が戦争に駆り出され多くの命が海に消えました。「戦時徴用船」の実態に迫る地元の研究者と遺族の思いを見つめます。

 全国でも有数のカツオの産地・気仙沼。カツオ漁が伝来して350年、海の恩恵を受け、まちは大きく発展を遂げてきました。

 その輝かしい繁栄の裏ではー。軍の船ではなく民間の漁船や漁師が人知れず戦争に駆り出されていた事実がありました。 

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「別れっていうかそれもないんですよね。ある日突然に父が戦死した。あれ、自分のお父さんはカツオ船で漁に行ってたんじゃないの?でも実は軍事作戦に参加してたとかですね」

 気仙沼の徴用船に関する研究をしている小野寺佑紀さん。大島出身で、神奈川大学の特別研究員も務めています。

 1942年、太平洋戦争が激化する中、日本軍は全国の民間の船を強制的に管理下に置けるよう統制。物資の輸送や敵機の監視のため「戦時徴用船」として戦地に駆り出されました。全国で7200隻以上が戦没。犠牲となった船員は6万人以上に及びました。

 宮城でも500隻近くが失われ1000人以上の船員が犠牲に…。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「気仙沼の大島や唐桑は旧気仙沼の船員の供給地なので、必然的に船員が多い土地柄が犠牲者が増えたっていう」

 気仙沼・大島の漁師が残した記録誌にはこんな記述がー。「船の改造装備を突貫工事で行いお粗末ながら監視船ができ上がった。一度お役にたてば事足りるとする。消耗品のように思われた。」

 軍人ではなく民間人が戦場へー。「戦時徴用船」は国の軍事機密であったため残っている資料は少なく、地元でも悲惨な過去を知る人は少ないと言います。

 小野寺さんが徴用船のことを調べるきっかけになったのが東日本大震災でした。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「津波で被災したこの気仙沼大島の漁協に収蔵されていた資料なんですけれども」

 15年前、大島のあらゆる歴史資料が保管されていた漁協の建物が津波で被災。流出しかけた資料の保存作業に当たったのが、小野寺さんが所属する神奈川大学でした。

 小野寺さんはその作業中、地元から漁師や船員が大量に戦争へ駆り出されていた事実を初めて目にします。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「大体同じ地域で同じ苗字の人なので、多分親戚とか親類なんじゃないかなとかっていうのも分かりますよね」

 皮肉にも震災が起きたことで明らかになった徴用の資料。小野寺さんの先祖も漁船が徴用され、戦地に駆り出されていたことが判明します。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「“カツオ漁船動力付き二十五トンを経営していたが、戦争によって徴用、のち戦没した”っていう記述があって。ひいひいおじいさん、高祖父も当初は戦争に協力してたんだと思うんです」

 その事実が、徴用船の歴史を深く調べる動機となりました。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「自分の家の歴史っていうのも、戦争の歴史に翻弄されてたんだなっていうのをまじまじと感じましたよね」

 大島地区の戦死者を祀る慰霊碑。戦死者の半数以上が軍人ではなく民間の漁師や船員でした。

 犠牲者の1人、菊田千松さん。カツオ漁に従事していましたが徴用され戦地へ。39歳の若さで亡くなりました。

 父を徴用船で亡くす菊田榮子さん「船員手帳さ貼ってた写真だから…」

 千松さんの娘・榮子さん(89)。いつもは昼間に見送っていましたが、ある日の朝方、隠れるように父が出ていきました。

 当時8歳だった榮子さんは幼いながらに違和感を感じたと話します。

 父を徴用船で亡くす菊田榮子さん「そこそこそこそこと。朝暗いんだもの真っ暗い時に提灯つけて下りていった。その面影で(今でも記憶に)残ってたんだべね」

 父・千松さんが戦争に行く直前まで書いていた日記。そこには、自身が戦争に関わることを徐々に覚悟する様子がー。

 昭和16年7月8日「チョウヨウの話を知る」 8月20日「念願もかない本船も国の役に立つか―」

 その2年後、千松さんは軍の石油輸送作戦中、サイパン島にて戦死しました。

 父を徴用船で亡くす菊田榮子さん「つらいです。仲間で行った方が生きて(帰って)きて、ましてや親類ですもの。うーん…会いたいね…」

 父・千松さんが生前、植えた梅の木。重ねる、思い。

 父を徴用船で亡くす菊田榮子さん「見るたびに思い出します」

 あの日から81年。

 父を徴用船で亡くす菊田榮子さん「戦争なんかはするもんじゃない。喧嘩していいことは何もないから」

 今もまちの歴史として十分に知られていない徴用船の記憶。若い世代をはじめ歴史を知る機会が少ないことに小野寺さんは警鐘を鳴らしています。

 徴用船を研究・小野寺佑紀さん「海と(のおかげで)生きてきたのと同時に海の犠牲になってきた方々も無数にいる。将来同じ過ちが繰り返されないように、ちゃんと学んで子々孫々まで伝えていかなければいけない」