小学2年生の時に、津波で父を失った仙台市の女性です。東日本大震災から12年8カ月が経ち、新たな夢に向かって歩み始めています。

 仙台市の大学3年生、萩原彩葉さん(21)です。この日訪れたのは、あしなが育英会が運営し震災などで親を亡くした子どもたちの心のケアに取り組む、レインボーハウスと呼ばれる施設です。

 震災で母親と兄弟は無事でしたが、父親の英明さんは建築関係の仕事で訪れていた宮城県名取市閖上で津波に襲われ、36歳で亡くなりました。
 萩原彩葉さん「遊具で遊ぶっていうよりも、父ちゃんを中心に遊びが繰り広げられるって感じだったので。本当に自他ともに認める家の太陽でしたね」

父親が津波の犠牲に

 震災から数日後、新聞の死亡欄で父の死を知った彩葉さんは当時、小学2年生で8歳でした。家族が悲しみに沈む中、彩葉さんだけが父の死を受け止められませんでした。震災1年後に書いた作文です。
 「パパはつなみにのまれて亡くなってしまいました。パパがいなくなってから笑いもなくてさみしかったです」
 萩原彩葉さん「悲しいとか、そうですね。何の感情もない。ただ、かたくなに信じないっていう感情しか無かったので、そうですね、本当に感情があんまり無かったんだと思います」

 あしなが育英会では、感情を発散させたりお絵かきなどで自由に遊んだりできる部屋を設けて子どもたちが死別体験と適切に向き合えるようサポートしています。

あしなが育英会のサポート

 彩葉さんも震災直後から定期的に通っていました。彩葉さんに変化をもたらしたのは、家族を亡くした人同士で亡くなった人について語る場でした。
 萩原彩葉さん「あしなが育英会で、おはなしのじかんっていうのがあって、その時に亡くなった人の話をするんですよ。亡くなった人がどういう服装だったとかどういう性格だったとか。話すとなったら、自分でそれを受け入れるってことになるので、話せるようになる前に自分でどこか落とし込んで受け入れた部分があったんじゃないかなって思います」

 父の死に少しずつ向き合えるようになった彩葉さん。
 萩原彩葉さん「もしかしたら支援からあぶれていたかもしれない。違う世界線の私がもしいた場合、そういう私を救ってあげたいなと思ってやっている」
 彩葉さんは、春からあしなが学生募金の宮城地区のリーダーを務めています。自分と同じ境遇の人や、病気などで親を失った子どもへの支援を呼び掛けています。

 東日本大震災で親を失い、あしなが育英会の特別一時金を給付された子どもは、全国で1872人、宮城県で1121人に上っています。多くの震災遺児に、継続的な金銭面でのサポートと心のケアが必要です。
 あしなが育英会東北レインボーハウス山下高文さん「親を亡くしたことで生まれる色々な感情であったりとか、大人になってもまだまだ続く。特に時間の経過とともに無くなるものではない。これからの支援についてはつながり続けることは大事かなと」

夢をかなえるため

 東日本大震災から12年8カ月。彩葉さんには新たな目標ができました。養護教諭になる夢をかなえるため、歩み始めています。
 萩原彩葉さん「学校に逃げ場も無いとなった時に保健室が私の逃げ場になってたので、そういう先生になれたら良いなって思って養護教諭を今、目指しています」

 小学5年生のころ、同級生から父親がいないことをからかわれたことがきっかけで、彩葉さんが保健室を訪れることが増えました。
 萩原彩葉さん「私がちょっとおなかが痛いと言っても休ませてくれましたし、変に気を遣ってしゃべりかけてこないっていうか。付かず離れずって関係を保ってくれてたので、すごく私的には居心地が良い先生でした]

 子どもたちに安心感を与えられる養護教諭になる夢に向けて。
 萩原彩葉さん「安心をくれる場所があったっていうのが、私がこういう夢というか目標を持てた理由だったので。私がそうだったみたいに、学校生活でつらいとか苦しいって思っている子たちの避難所になれるような空間を作れる先生になりたいなと思っています」