宮城県石巻市の大川小学校に通っていた2人の孫を津波で亡くした男性が、桜を育てています。

 石巻市の釜谷地区で、オオヤマザクラを育てている阿部良助さんです。

 阿部良助さん「ほんとうれしいよ。13年経ってやっと日の目を見てきたからさ。一緒に植えても成長がまた変わってくるんだ、場所によってね。人間と一緒なんだ花も」

 震災当時当時大川小学校に通っていた菜桜さん(当時10歳)と舞さん(当時9歳)を津波で亡くした阿部さんは、震災から約8カ月後に地区で亡くなった人を供養するために桜を植え始めました。

 植樹を続け、5年後には釜谷地区と大川小学校で犠牲になった人数と同じ269本にまで増え、今でも東京都や長野県からボランティアが集まり桜の手入れを行っています。

 長野県の桜守、里野龍平さんは毎年この時期になると車で7時間かけて石巻市に駆け付けます。里野龍平「孫を育てるつもりで花を育てたいっておっしゃったからね。桜の苗だったら俺持っているよって言って、そこからご縁が始まって、長野県からの距離600キロが全然苦にならなくてね。なんか田舎に来たような感じ。まあ生きている限りは来ると思うよ」

 阿部良助さん「みんな、黙ってても声掛けて集まってきてくれるからね。そしたらうれしいね、私もね」

 多くの人に支えられてきた桜の中に、阿部さんが孫の桜と決めている木があります。

 阿部良助さん「こいつは特別。毎年きれいに花つけてくれるからさ。私はいつ亡くなるか分からないけどね。この人(桜)たちは元気にずっと100年も生きてくれると思うからね」

 作業後の恒例の花見会は風が強く、屋内での開催になりましたが、ボランティアや地元の人と食卓を囲み久しぶりの交流を楽しんでいました。