東日本大震災の発生当日、初産直前だった宮城県石巻市の女性は祖父から聞いた教訓のお陰で命を取り留め、無事に出産できました。今、母親として子どもたちに自らの教訓を伝えています。
温もりを感じるランプシェードや大きな口が特徴のアンコウに、お雛様や兜飾りを製作しているのは石巻市のステンドグラス作家、四倉有香子さんです。
四倉有香子さん「何のガラスを使おうかなとか何の色、素材を作ろうと考えながら絵を描いている時が一番ワクワクします」
石巻市で生まれ育ち工房を開いて20年余り、数百種類のガラスに100を超える作品が並びます。
2011年3月11日、有香子さんは初産の直前でした。検診を終えて妹の嫁ぎ先の寺で休んでいた時に、激しい揺れに襲われます。
四倉有香子さん「臨月だったのでお昼寝でもしたいかな、どうしようかなと思っていた時にすごい揺れが来て。本当に立っていられない地震ってこういうことなんだなって」
寺から旧北上川まではわずか500メートル。ほどなくして津波が襲ってきました。
四倉有香子さん「車とか船とか全部押し寄せてきてくる感じで音はバーン、ドーンなのかギシギシとか何かがぶつかるような音と一緒に押し寄せてきた感じで」
津波を目の前に意外にも冷静でいられたと話す有香子さんの胸には、常に1960年のチリ津波地震を経験した祖父の言葉がありました。
四倉有香子さん「いつも津波の話をしているおじいさんで、第1波が来ても第2波が来るし、引いた川の底には魚がいっぱいいて魚を取りに行った近所の人たちは、魚もろとも持って行かれたんだと聞いていたので」
津波が来たら川や海には近づかない。避難するときは、車ではなく徒歩で。有香子さんは高台への避難も考えましたが周辺の道路が渋滞していたために断念し、避難した3階部分までは津波は到達せず、妹と姪と共に一命を取り留めました。3日後に救助され、病院に向かいます。
四倉有香子さん「色の無い世界ってこういうことなんだなと思って。どこが道路だったか、どこが信号機だったかはもちろん、本当に1週間前の光景が180度変わった感じだった。だから夢なのかこれ、何なんだろうと現実なんだけど受け入れがたい景色」
大津波に襲われた石巻市は、3000人以上が犠牲になりました。有香子さんの自宅も被災したため、病院の待合室で毛布にくるまり出産を待ちました。
四倉有香子さん「初めての出産だし、家族が増えるっていう喜びだけで生きてきたのに、何で今なんだろうっていう感じに駆られた」
不安に駆られる有香子さんを励ましてくれたのは、見ず知らずの人たちでした。
四倉有香子さん「いっぱい色々な人に声を掛けていただいて、妊婦さんだね今から産むの、頑張って産まんよ、こういう時だからこそ産声大事だよと声を掛けられての入院だったので不安もあるけど、自分のやるべきことは産み出すことだって」
有香子さんは震災から6日後、元気な赤ちゃんを生みます。
四倉有香子さん「親子3人で生きて会えたということで比べようがないうれしさ、言葉にならないうれしさ」
震災の混乱の中で生まれた赤ちゃんに特別な思いを漢字に込めて、伶汰と名付けました。
四倉有香子さん「人は1人で生きられない、人に助けられること、水は飲み物として大事だし、海や川は怖いものじゃないことを教えていきたくて、にんべんとさんずいをつけました」
多くの人の人生を一変させた東日本大震災について、有香子さんは家族と話す時間を積極的に設けています。
四倉伶汰さん「ごはんを食べている時に家族の会話で命は大事で、3・11を通じて避難経路とかをしっかり確認して、僕結構おさかなとか釣りが好きなので釣りをしている時は、焦らずにすぐに高台に逃げてとか川から離れてという話はしています」
怜汰さんは、もうすぐ15歳になります。魚や釣りにとても詳しく魚をさばかせれば博士ちゃんと呼ばれ、テレビ出演するほどの腕前です。3つ下の弟、亮太さんは食べる専門です。
四倉亮太さん「盛り付けもきれいなので、そりゃ食欲そそる。盛り付けもセンスなのかな」
四倉有香子さん「いただきましたね」
四倉伶汰さん「ありがとうございます」
祖父からの教訓を覚えていて助かった有香子さん。伶汰さんと亮太さんも、有香子さんの父である祖父から震災の教訓を学んでいます。
四倉伶汰さん「自分の命は自分で守るものだよと聞かされていて、釣りとかしているので地震が来て潮が引き魚が見えても絶対に海には行くなとは固く伝えられていますね」
四倉亮太さん「高い所や車じゃなくて、歩いて逃げることは一番大事にしている」
祖父から母、そして息子たちへ津波の教訓は世代を超えて受け継がれています。
四倉有香子さん「何かの時は自分の知恵や知識が一番大事だということは身をもって体験したので、ちゃんと2人に伝わっているなということが伝わってきたので、言い続けて良かった」