乗客乗員520人が犠牲となった日航機の墜落事故から今月12日で41年です。あの時、何が起きていたのか、当時の遺体安置所で仕事をしていた男性に話を聞くことができました。

■遺体安置所で起きていたこと

遺体搬送を行った林直男さん(77) 「20、30分から40、50分の間で繰り返しヘリコプターは仏様を積んでやってきた。ご遺体を積んでやってきました。大変なことになった。すぐ終わらないと思いました」

 41年前の8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便が群馬県上野村の山中・御巣鷹の尾根に墜落。乗客乗員520人が死亡する航空機史上最悪の事故が起きました。

 当時、遺体は墜落現場から約50キロ離れた群馬県藤岡市内の体育館に安置されていました。

 体育館には棺(ひつぎ)と集まった遺族の姿が…。

遺体搬送を行った林直男さん 「大きく携わる遺体搬送の業務が来るとは思っていなかった」

 安置所となった場所の近くで仏具店を営む林さん。

遺体搬送を行った林直男さん 「警察から『棺が何個あるか』という問い合わせが来た。当時はポケットベルで鳴って自宅へ掛けたら、『15ぐらい棺がある』と返事をしておけと妻に言った覚えがあります」

 当時、遺体搬送などの業務に携わった林さんに、その時の状況を聞くことができました。

遺体搬送を行った林直男さん 「日航機のご遺体を運んできて着陸した場所です。ここに霊柩(れいきゅう)車がずらっと並んで、そこにヘリコプターが降りてきたら順番でバックでヘリコプターに向かって下がってご遺体を積んで、検視を行う藤岡市内の体育館に運びました」 「(Q.霊柩車はどこに?)あの木があるところにずらっと30から40台いたと思う」

 520人の死者を出した事故。全国各地から霊柩車が集まったといいます。

遺体搬送を行った林直男さん 「(Q.当時のまま?)当時のままですね。ここに棺がずらっと並んで、お医者さんがたくさんいました」

 市内に設置された安置所には止まることなく棺が運ばれてきていました。

遺体搬送を行った林直男さん 「(Q.ご遺族もここに来ていた?)ここですね。いっぱいいました。泣きながらの人もいますし、怒っている人もいたけど長時間、眺めているというような状態ではなかったので、降ろせば基本的にすぐ帰る。ただ、何かの都合でちょっと間が空いたら眺めていた。大変なことになった。これはすぐ終わらないぞとは思いました」

■「忘れないよ」遺族が慰霊登山

 12日、慰霊登山が行われました。

弟・健さんを亡くした美谷島真さん 「『今年も来たよ』と。『忘れないよ』と。『また来るからね』と」