入学時、まさか自分がエースナンバーを背負うとは「全く思ってもいなかった」。
仙台育英・梶井湊斗。最速147キロを誇る右腕は、チームの〝最後の砦〟としてマウンドに立っている。
「単純に投げる力が一番の長所」 転機は監督の一言から
梶井は中学時代、世界少年野球大会にも出場するなど、早くから注目を集めた選手だ。
中学2年生の時、甲子園で優勝する仙台育英の姿をテレビで見て、胸が震えた。目指したのは甲子園優勝メンバーのショート、山田脩也選手(現阪神)のようになること。内野手として仙台育英に入学し、1年の秋には、背番号15でベンチ入りを果たす。
ところが、その道は思わぬ方向へと変わる。
梶井「須江監督から、ピッチャーやってみたらどうだと言っていただいたので、自分もピッチャーやりたいという気持ちもあって、そこで決断しました」
須江航監督は、その才能をいち早く見抜いていた。
須江監督「野手やってるときに、肩がいいよねと。例えば遠くへ飛ばすとか、バッティングがいいとか、足が速いとかっていうことじゃなく、単純に投げる力があるのが一番の長所でした」
転向から1年足らずで甲子園のマウンドへ
監督の後押しを受け、2年の春にピッチャーへ転向すると、すぐに頭角を現す。
2年の夏、宮城大会決勝に登板して優勝投手に。
さらにその年の甲子園でも先発し、転向から1年も経たないうちに、大事な試合を任されるほどのピッチャーへと成長する。
そして新チームが始動した秋、最上級生になった梶井に、背番号1が託された。
「1番は責任を問われる」背負って分かった〝重み〟
憧れていたチームのエースナンバーを手にした梶井。しかし、渡されてみて初めて感じたのは、その重みだった。
梶井「1番は責任を問われるっていうことがあって。昨年は吉川さんっていうエースがいて、自分たちが悪いピッチングをしたあとに、しっかりゲームを締めてくれるっていう形だったので」
前年、絶対的エースとしてチームを支えた吉川陽大投手。下級生が先発し、苦しんだときには必ず助けてくれる、頼もしい存在だった。
その役割を、今度は自分が担う。責任の重さを知ることで、梶井にエースとしての自覚が芽生えはじめる。
見えない貢献がチームを支える
宮城大会・決勝。東北高校戦の先発マウンドに上がったのは、2年生の古川諒弥。
4点リードで迎えた9回。ここまで無失点に抑えてきた古川が1点を失い、なおもピンチが続く場面。
クローザーの役割を担う梶井は、ベンチ前で体と心を整え、静かにグラウンドを見つめていた。
「後ろには俺がいるぞ」
心の中で、マウンドの古川を後押ししていた。
古川は落ち着いてピンチを切り抜け、仙台育英は甲子園の切符を手にする。
須江監督は、梶井の「見えない貢献」を称えた。
須江監督「さすがにもう1点入ったりしたら、梶井が行く予定だったんですけど、やっぱり梶井が控えてくれてるっていうのが大きいですね。多分甲子園は、あそこ最後逃げ切れないです。梶井には甲子園頼むぞって話をしました」
去年のエース吉川投手のようには、まだなれていないと話す梶井。それでも、その役割に誇りを持って臨んでいる。
梶井「どんな場面でマウンドに上がるか分からないので、相手がガツガツ来る中でも自分の投球をするというのが、先発よりも一個難しい部分かなと思います。今年福井(2年)と古川(2年)が先発する可能性があるんですけど、そういうときに、後ろに控えてくれているピッチャーがいると、思ってもらえるような存在になりたいです。」
甲子園でも「後ろには俺がいる」
梶井「2年生に頼りっぱなしっていうのは、本当に情けないと思うので、俺が裏にいるんだぞという気持ちで投げていきたいです」
エースナンバーを背負い、迎えた甲子園。1回戦の札幌日大戦では、7回からマウンドへ上がった梶井。
3イニングを投げ無失点。
先発・古川と2番手・福井、後輩たちが作った流れを引き継ぎ、試合を締めくくった。
「後ろには俺がいる」
〝1番〟という責任を背負いながら、梶井は甲子園のマウンドに上がる。