太平洋戦争終結とともにフィリピンに残された姉妹を25日に沖縄の親族が訪れ、80年越しの劇的な対面を果たしました。
■“80年越し”親族と劇的対面
盛根康彦さん(40) 「僕たちのお父さんや兄弟も、皆…」
今まで存在すら知らなかった親族は、涙をこらえられませんでした。
盛根康彦さん 「皆、会いたがっていました」
父の祖国・日本とのつながりを求め続ける姉妹がいます。
フィリピンの離島「リナパカン島」で暮らすモリネ・エスペランサさん(87)、リディアさん(85)姉妹。2人は太平洋戦争中に日本人の父と生き別れ、無国籍となった「フィリピン残留日本人2世」です。
戦後のフィリピンには反日感情が強く残っていたため、2世の多くが日本人の子どもであることを隠して生きてきました。
「無国籍」残留日本人2世(当時) モリネ・リディアさん 「もし日本人の子どもだと知られたら殺されるから」
姉妹は日本国籍を回復させるため、日本の支援団体に調査を依頼しました。
モリネ・リディアさん 「(Q.お父さんの名前は?)カマタ・モリネ」 「(Q.出身は?)オキナワ。父は漁師をしていた」
遠い記憶を頼りに調査を進めると、戦前に沖縄の「盛根蒲太」という男性がフィリピンに渡った記録が見つかったのです。
調査を始めて10年が経った去年9月、事態が大きく動きました。ついに姉妹が「盛根蒲太」の娘として日本の裁判所に認められ、国籍を回復したのです。
そして今月25日、終戦から80年の時を超え、姉妹と日本をつなぐ出来事が…。沖縄で暮らす2人の親族がフィリピンの姉妹を訪ねたのです。
父・蒲太さんの弟たちのひ孫・康彦さんと孫・直昭さん(49)です。
通訳 「日本語できなくて、コミュニケーションが取れなくてごめんなさいって」
康彦さんが取り出したのは、姉妹の父・蒲太さんの写真。100年以上前に撮られたものです。
康彦さん 「覚えてますか?」
戦後80年が経った今もフィリピンには日本国籍の回復を希望する残留2世が49人残されています。
康彦さん 「来て良かったです」
残留2世たちの平均年齢は80歳を超え、残された時間は多くありません。