第81代内閣総理大臣を務めた村山富市氏が10月17日、入院していた大分市内の病院で老衰により死去した。101歳だった。大分県出身。1972年の衆議院選挙で日本社会党から初当選し、以来8期にわたり国政の舞台で活躍した。1994年、自民・社会・新党さきがけによる「自社さ連立政権」の首班として内閣を立ち上げた。当時、社会党が長年掲げてきた「自衛隊違憲」「日米安保条約反対」という基本政策を大転換し、自衛隊の合憲性を認め、日米安保体制の堅持を表明した。戦後政治の一つの大きな転換点として記憶されている。戦後50年の節目にあたる1995年には、過去の戦争への痛切な反省と心からのお詫びを表明する「村山談話」を発表。戦後日本の歴史認識に一石を投じた。一方、高市早苗自民党総裁は18日、自身のXを更新し、「自民党との連立によって社会党の基本政策を大転換され、自衛隊を合憲とし、日の丸や君が代を容認された時には、大変な御心労があった事だろうと存じます」と述べた上で、「安定した政治を実現する為に政策の柔軟性が求められる今の私も、帰宅後も週末も宿舎内で会議を重ねる産みの苦しみの中にあります。当時の村山富市総理大臣の御苦労に思いを致す事ができます」と故人を偲んだ。

自民党は、臨時国会で実施される総理指名選挙に向け、「高市総理」誕生を確実なものとするため、衆議院における多数派形成に全力を挙げてきた。10月16日には高市早苗総裁が国会内で参政党の神谷宗幣代表と会談し、同党の協力を要請した。神谷氏は「党に持ち帰って検討する」と応じ、今後、党内で対応を協議する考えを示した。総理指名選挙では、衆議院の優越規定により、まず衆院での投票が行われ、過半数(233票)を得た候補が総理に指名される仕組みとなっている。現在、自民党は衆院単独で196議席を有するが、日本維新の会との連立協議がまとまれば、自民・維新両党で計231議席。高市総裁はこれに加え、3議席を持つ参政党の協力を要請したが、自民党の麻生太郎副総裁も15日、衆院会派「有志・改革の会」の北神圭朗議員と会談し、総理指名選挙での協力を求めた。同会派は、日本維新の会から除名処分を受けた無所属議員3人を含む7人で構成されている。

自民党と日本維新の会による連立政権協議は10月17日、2回目の会合を終え、「大きく前進した」との認識で両党が一致した。政策面のすり合わせが一定の成果を見せ、次期政権の枠組みづくりに向けた政策協議は、最終調整の段階に入った。会談後、自民党の小林鷹之政調会長は記者団に対し、「この協議全体として見たときには、大きく前進したというふうに捉えています」と述べ、合意形成に向けた手応えを強調した。一方で、「(正式な合意には)まだ至ってはおりませんが、残されたところは限られた日数ですので、しっかりと詰め切っていきたい」とも語り、総理指名選挙までの時間を意識した発言をにじませた。 日本維新の会の藤田文武共同代表も、「結論として、今回の協議については大きく前進したものというふうに、両者で受け止めております」と述べたうえで、「最終期限は20日の月曜日だと思いますから、それまで鋭意努力したいということです」と語り、政策的な方向性で一致点が広がっていることを示唆した。

自民党と日本維新の会は10月16日、連立政権樹立に向けた政策協議を開始した。維新側は、臨時国会召集前日の20日を協議期限と定め、副首都構想を含む統治機構改革、社会保障、経済・財政政策など12項目の政策要求を自民党に提示。維新の提示した12項目の中でも、議員定数削減は象徴的な争点とされる。自民党は17日、維新の主張を受け入れる方針を固めた。国会議員を1割削減することを目標に、臨時国会で関連法案を成立させる方向で調整に入った。削減の具体的な範囲、今後詰めの協議を続けるが、20日までの大筋合意を目指す構えだ。

自民党と日本維新の会による連立政権協議が進む中、維新の吉村洋文代表は10月16日、協議を前に記者団に対し、「結構広い項目について協議事項になっているので、最終的にはトータルで決断をしたい」と述べていた。そのうえで、「絶対条件はこれまで申し上げているとおり『副首都構想』と『社会保障』だ」と明言し、維新の政策的中核を譲れない一線として示した。吉村洋文代表は10月16日夜、テレビ朝日系列「報道ステーション」に出演し、「本気でこれから日本を変えていくという思いが高市さんに本当にあるのなら、議員定数削減を臨時国会でやるべきだ」と強調。翌17日の同局番組でも、定数削減をめぐる質問に対し、「年内に1割削減の法案を出すと合意できなければ連立はしない」と明言していた。

★ゲスト:久江雅彦(共同通信特別編集委員)、林尚行(朝日新聞コンテンツ政策担当補佐役)、中北浩爾(中央大学法学部教授) ★アンカー: 杉田弘毅(ジャーナリスト/元共同通信論説委員長)