東日本大震災の発生直後から懸命に情報を伝え続けた宮城県石巻市のラジオ石巻、パーソナリティーたちが残した記録です。
「えー、こちらはラジオ石巻です。こちらはラジオ石巻です。大きな地震が発生いたしました。こちらはラジオ石巻です。まだ揺れが続いています」
大きな揺れと津波が宮城県を襲った2011年3月11日、コミュニティーFMのラジオ石巻は、命をつなぐための情報を懸命に発信しました。
石巻市と東松島市が放送エリアで、地域に密着した情報を発信しています。東日本大震災発生直後から災害放送で道路の寸断や建物の倒壊からライフライン情報、リスナーからのSOSまできめ細かな情報を伝え続けました。
当時、数日間に起きた出来事を当時のパーソナリティーたちが残した資料が、今回の取材で初めて表に出ました。資料を元に当時の状況について皆さんに聞きました。
地震発生直後からマイクの前に座り伝え続けた高橋幸枝さんは現在、宮城県登米市のコミュニティーラジオで活躍しています。
高橋幸枝さん「当時は無我夢中で、大変な状況下に自分たちがいるっていうことは分かっているようで分かってなかったなって」
「石巻湊字須賀松の〇〇さんから屋根の上にいますので助けてくださいということなんですが、えーこちら消防関係者の皆さんに情報お願いしたいんですが。〇〇さんからSOSが届いています」
高橋幸枝さん「津波が来ているってSOSメールを紹介するのはいいけど、助けに行けないじゃないですか。読んでいいんですかって言ったら、読んでいいと。読むことによって自分の存在をみんなに知ってもらうっていう安心感につながるから、とにかくやるべきことはやっていこう伝えられるものは伝えていこうって」
「八幡町一丁目、館山の崖の上で車10台で避難をしている方が、退路を断たれて孤立しているということです。食料も何も無い状態なので、早めの救助をお願いしますと寄せられています」
約5時間後に、非常用バッテリーが切れ放送がストップしてしまいます。
津波による冠水が続く中、スタッフの1人が送信所がある日和山公園に行かせてほしいと自衛隊に交渉します。人命救助が優先と断られるも、放送が命を救うと粘り強く説得し、2日後に自衛隊の指示の舌で何とかたどり着きし、送信所の自家発電を使って放送を再開できました。
日和山公園の仮設スタジオから放送を続けたほか、石巻市との連携で臨時災害放送局として市役所にもスタジオを設け、行政や支援に関する動きなど身近な情報を伝えました。
市役所での放送に携わった今野未来さんは、避難者や亡くなった方の名簿を読む場面も多くあったということです。
今野未来さん「すごく悩みながら放送していたことを覚えています。ここに誰がいて誰を探しているっていう声の重さ、1人の人っていうのを思い浮かべるようにして読みたいなっていうのはありました」
安否確認のほかライフライン情報などを発信して地域の生活を支え、命をつないだラジオ石巻では、当時パーソナリティーだった松浦佳奈さんと後藤恭子さんが今も活躍しています。震災当時は育児休業中だったため、いちリスナーとして助けられたと松浦さんは話します。
松浦佳奈さん「避難して教室に入って、知らない方々もいっぱいいる中で何が起きてるのか分からないわけですよね。ラジオの情報で私も石巻がどういう状況になっているのか分かったので。ラジオ聴いてる方って多かったので、すごい身近に感じてもらえてるのかなっていうのはひしひしと感じましたね」
ラジオ局が今も大切に保管している物があります。
松浦佳奈さん「震災発生時に皆さんから寄せられたメッセージです。3月11日当日に来たメールですね」
【じいちゃん、ママは無事です。元気でいることを願っています。希望を捨てないで】
松浦佳奈さん「何とかなるかもしれないっていう思いで、メールを送ってくれたと思うので。すごい悲しい出来事だったけど、地域の皆さんとつながっていたっていう証かなっていう気もしますしね」
開局当初から紡いできた地域との信頼とつながりを大切に、今も防災に力を入れた放送を心掛け続けています。
後藤恭子さん「3月11日も、もうすぐそことなっています。色々な形でですね、振り返る、それから備える、そんな時期にもなるのかなと思います。いざという時ももちろん頼って欲しいですけれども、いざという時じゃない時も頼ってほしいなと思います。日頃から聞いていただけるっていうことは、ラジオの存続につながって皆さんの防災にもつながっていくことだと思っているので、継続していくことつながっていくことは大切にしたいなと思っています」