学校での日々の出来事を記録する学校日誌で、戦時中の子どもたちや地域の人がどのように戦争に巻き込まれていったのかを知ろうという試みです。
宮城学院女子大学大平聡特任教授「石巻市の福貴浦で女子青年6名が来て、千人針を依頼したという記事」
宮城県石巻市の万石浦小学校に残されていた学校日誌には、戦前も戦時中も欠かさず学校で起きた出来事が記されていました。
「11月15日。晴れ。福貴浦女子青年六名。千人針依頼」
日中戦争が始まった1937年11月15日、福貴浦の12歳から18歳ほどの女性たちが小学校を訪れ、兵隊たちの無事を祈り千人針を依頼した時の学校日誌です。
「6月12日。晴れ。無言の凱旋」
1943年6月、無言の凱旋となってしまった出兵兵士の慰霊祭が開催され、子どもたちもその場に出席していたことが記されています。
20年近く前から学校日誌の調査や研究を行っている宮城学院女子大学の大平聡特任教授は現在、石巻市博物館と共同で小中学校などに残された学校日誌を調査しています。
宮城学院女子大学大平聡特任教授「よく残っててくれましたねという感じですね。それを生身の人間が書いたということですよね。生身の人間が書いた内容が、また生々しい内容があるわけですよ」
教師が毎日学校で起きた出来事を記録する学校日誌は、学校が創立された明治時代からずっと保管してきた学校もあり、歴史資料としての価値が注目されるようになっています。
この日、大平教授は調査の依頼を受けて115年の歴史がある石巻好文館高校を訪れて、高校生5人と日誌を1枚1枚撮影しデータ化しました。石巻好文館高校は戦争当時は、石巻高等女学校という女子校でした。
当時の生徒たちは、神奈川県横須賀市での勤労動員に駆り出されました。石巻好文館高校では、有志の生徒たちが2025年から勤労動員などについて調査を始めています。
この日は、終戦の約1年前1944年9月の学校日誌を照査しました。当時の生徒たちが、近くの蛇田地区に血液型検査を手伝いに行った記述があります。
血液型検査は、戦況が悪化する中でいざという時に市民に輸血をするために行われました。
石巻好文館高校2年芳賀楓さん「授業を潰してまで戦争に関わっていくことに驚きました。もし自分だったら逃げ出したくなりますね」
石巻市博物館では貴重な資料を残そうと、学校日誌などの保存を始めています。石巻市の須江小学校で見つかった国民学校防空臨時措置という資料には学校が空襲に遭った際にどう行動するかが記されていて、学校日誌の1ページ目に貼られていました。
石巻市博物館学芸員伊藤匠さん「国民学校、小学校の対策を命じる資料というわけでして全部で6カ条あります」
1カ条目には、御真影奉護ニ関スル事項が書かれています。当時、学校の敷地内には天皇皇后両陛下の写真である御真影をしまう、奉安殿という建物がありました。この資料には空襲があったら、まず御真影を守るよう記されています。子どもたちの避難に関する項目はその後でした。
石巻市博物館伊藤匠学芸員「児童のことよりも御真影の方が大事だったことが分かる、なかなかシニカルな資料ですけども、当時の考え方や学校の在り方を考えるうえでは、とても大事な資料だとは思う」
この資料は現在、石巻市で展示されています。
宮城学院女子大学大平聡特任教授「空襲の中で学校に戻って御真影を持ち出そうとして、火災に巻き込まれて命を落とした人もいます。聞いてはいましたが、それが書かれている文書は私は初めて見ました」
戦時中に自分たちの住む場所でどんなことが起きていたのか初めて知ったという石巻好文館高校の生徒たちは、戦争について改めて考えさせられたと話します。
石巻好文館高校2年菊地友夏さん「東京の大空襲とか長崎の原爆とか大きな事しか知らなかったけど、自分たちの地域にある戦争に関わった歴史がどういうものがあるのかが気になった。二度と起こさないためには私たちはどのようなことができるのか、小さな抵抗でも日々の生活でどんなことができるのかをもっと考えていきたい」
子どもたちや地域の人たちがどのように戦争に関わっていたのかを学校日誌を通じて掘り起こしてきた大平教授は、戦争は遠い世界の話ではないと知ってほしいと訴えます。
宮城学院女子大学大平聡特任教授「学校日誌は、身近に戦争を感じるツールとしての意味が大きいと思うんです。知ってる学校名や地名が出てきて、学校日誌は地域の人たちの物であると。学校日誌に書かれているようなことが二度と繰り返されないように、それだけが願いですね」