終戦から81年が経過し、戦争の体験者や遺族の高齢化で戦争の記憶の継承が課題となる中、体験を記録に残す取り組みが始まりました。
宮城県色麻町に住む橋本一意さん(88)の父親、三郎さん(当時33歳)は1945年の6月、フィリピンのルソン島で戦死しました。
橋本一意さん「親父が逝った後、祖父と祖母、母と子ども3人で暮らしていた。戦争は良くないんだ。勝ったからいいとか負けたからいいとかでなく、あっては駄目なことなんだ」
橋本さんは戦後、父の慰霊のため色麻町の遺族会で長く活動してきました。しかし、発足時は300人ほどいた色麻町遺族会の会員は半数ほどに減り、終戦80年となった2025年の慰霊祭を最後に活動を終え解散しました。
橋本一意さん「遺児もほとんどいないので活動を終わりに。時代の流れだから、やむを得ないという感じ」
地元に残る慰霊碑も遺族会が管理してきましたが、維持のめどは立っていません。
7月、各地の遺族会を束ねる宮城県連合遺族会が県庁を訪れ、村井知事に追悼事業や戦争体験の継承への支援を求めました。
村井知事「戦後80年以上が経過する中で避けられない課題で、必要な事業の継続に向けて行政としても現状を重く受け止めている」
宮城県の全市町村にあった遺族会の支部は22支部まで縮小し、遺族会が主催してきた戦没者追悼式は2026年から遺族の高齢化を踏まえ宮城県が主催となりました。
遺族の高齢化を踏まえ連合遺族会は、戦没者の子ども世代に戦争の記憶を聞き取り動画として記録する取り組みを始めました。
宮城県連合遺族会の相原直美事務局長(60)が企画しました。
宮城県連合遺族会相原直美事務局長「実際体験した生の声を聞くことが、最後になるんじゃないかという思いでやりました」
この日は、角田市に住む菊地祥一さん(93)に話を聞きました。菊地さんの父親は、1937年の日中戦争で戦死しました。
菊地祥一さん「父親の右の後頭部に破片が食い込んで即死、戦死された」
菊地さんは返ってきた遺留品から、在りし日の父の姿を思い描きます。
菊地祥一さん「父がいたら、こんなことあんなことをしてもらったんだろうなと。寂しい思いをしながら小学校時代を送った。召集された兵隊だけではなくて、家族全員がつらい思いをする。戦争をやっては駄目だと今つくづく思います」
仙台市に住む高橋悦子さん(89)が、1945年7月10日未明の仙台空襲に遭い防空壕へと逃れました。当時、小学3年生でした。
高橋悦子さん「ランドセル背負って逃げたわけです。頭の上はブンブン飛行機ですし、青葉神社に上って見たら、もうすっかり足元まで焼けてるように見えたんですよね。今でも夜に飛行機が飛ぶ音が聞こえる。今でも怖いです。嫌です」
連合遺族会では更に、戦争体験を基にした紙芝居のデジタル化に向けた制作も進めています。
マーシャル諸島で亡くなった佐藤冨五郎さんをテーマに、戦地での餓死の実態と家族への思いを描きました。
杉澤武子さん「聞くだけでは想像できないと思うので、紙芝居で見ながらでもこういうことは絶対しては駄目だということを感じてもらえればいいなと」
戦後81年、戦争の記憶の継承は喫緊の課題です。
宮城県連合遺族会相原直美事務局長「戦争のこと色々な思いがあると思うので、感じ取っていただいて、改めて平和っていいなありがたいなという思いが分かっていただければなと思います」