ロシアの軍事侵攻を受け、石巻市に避難しているウクライナ人女性です。避難から1年。ある思いが芽生えました。

 4月1日。商業施設に向かう1人の女性。ウクライナ出身のホンチャロヴァ・イリナさん(63)です。
 店員「2257円です」
 イリナさん「はい」
 店員「お支払いはここでお願いします」
 イリナさん「うん」「サラダ用の緑野菜をたくさん買いました。お母さんと食べます」

 87歳の母親、リディアさんと石巻市に避難して1年。ふるさとのことを考えない日はありません。
 リディヤさん「(デイケアに)行くとみんな挨拶してくれて手を差し伸べてくれるんですよ。家に帰る時に」
 イリナさん「そう、別れ際にみんな手を伸ばして握手するんですよ。『またね、またね』と皆さんおっしゃいます。とても感動的ですよ、感動的です」
 リディアさん「(日本の皆さんが)とても大好きです。ありがとう」

石巻市に避難して1年

 侵攻当初に約1カ月間、自宅や地下で過ごしたイリナさんは、2022年4月に石巻市に住む長男を頼り、ウクライナ北部の都市チェルニーヒウから避難してきました。イリナさんの次男は、今もウクライナで暮らしています。ほぼ毎日、電話で連絡を取っています。
 イリナさん「空襲警報はあった?2日前ね、うん。前の日は何も無かった?静かだった?」
 「(次男は状況が)悪かったとしても絶対に教えてくれません。いつも『お母さん心配しないで大丈夫だよ』と言っています。どんな状況なのかが分からず、心が押し潰されそうになります。(電話がつながり)彼の声を聞くことができればすぐに無事だと確認できますが、呼び出し音が鳴っている数秒間は、私にとってとても不安な時間です」

 3月11日に石巻市の復興祈念公園を訪れたイリナさん。東日本大震災から12年。日本に避難して初めて迎える3月11日です。
 イリナさん「私たちの所でも全部燃やされている。バフムトなんて…」

 震災と戦争。状況は違いますが、ともに多くの命が奪われました。
 イリナさん「最近私は石巻で起こったこととウクライナで起こっていることには共通点があると考えてます。私たちが立っているのは、人々が暮らし子どもたちが遊び子どもたちが勉強していた場所だったはずなのに、それらが無くなってしまったからです。
神様が人々をお救いしてくださいますようにと祈りました。私がこの町に避難したのは、何か理由があったからだと思うんです」

 翌日。石巻市の震災遺構・門脇小学校にイリナさんの姿がありました。ウクライナで25年間小学校の教師だったイリナさんは、2022年9月からここで自らの経験を語ったり、施設を案内したりするなどのボランティア活動を行っています。
 この日、これまでと違う言葉を口にしました。
 イリナさん「息子の妻は親族を震災で亡くしています。もしこれが起こらなければ私の家族はもっと多かったことでしょう。戦争が終わったら私たちも同じように国を再建し、幸せに暮らせるようになることを願っています。本当にそう願っています」

震災遺構でボランティア

 震災で壊滅的な被害を受けた被災地。その復興へと進む姿に、ふるさとウクライナの未来を重ねます。
 石巻に避難して1年。異国の地で迎える2度目の春。
 イリナさん「私は自然がとても好きです。このような美しいものを見ていても、自分の国に戦争や苦しみ、人や自然に対する犯罪が行われていると思うと、とても複雑な気持ちになります。なぜ人々が平和な国で幸せに暮らすことができないのか、理解できません」

 あの日、奪われた日常。イリナさんは、一刻も早く戦争が終わり平和が戻ることを願っています。
 イリナさん「来た時と今の私とでは恐らく心の傷が少しだけ癒えたのでしょう。人生は続くし、まだまだ知りたいこと見たいこと学びたいことがたくさんあります。私をサポートしてくださる皆さんに感謝します」