東日本大震災から間もなく13年です。解体か保存かで揺れていた宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎が、7月に県から町に移管され震災遺構としての保存を継続することが分かりました。

 佐藤仁南三陸町長「自分の代で1つ、けりをつけるということが非常に大事だなとずっと思っておりましたので」

 南三陸町の佐藤仁町長が、1日の会見で明らかにしました。

 津波で町の職員33人を含む43人が犠牲になった旧防災対策庁舎をめぐっては、遺族感情への配慮や財政面での負担を理由に町は2013年9月、一度は解体の意向を示しました。

 しかし、県の有識者会議で残すべき価値があるという意見がまとまったことを受け、村井知事が町に対し震災から20年後となる2031年3月までの県有化を提案し、町が受け入れていました。

 県有期間が終わる2031年3月まであと7年を残しながら町が出した結論は、町有化での保存でした。

 佐藤町長は、7月以降町が庁舎を所有し震災遺構として保存していくとしています。

 佐藤仁南三陸町長「全国から多くの方々が防災教育で訪れてくれております。防災対策庁舎が未来の命を守るという役割を担っていただいているというところがあります。そういう意味でこの施設は後世に残すべきだと思っております」

 南三陸町が保存することになった旧防災対策庁舎、保存と解体それぞれの立場の方々に話を聞きました。

 南三陸町志津川「庁舎が無くなった場合のことを考えると、語り部の皆さんもどのように説明していったらいいのか分からなくなる可能性もある。町が継続するという話なので良かったのかなと」

 南三陸町歌津「私はやっぱり解体してもらいたいんですよあくまでも。遺族だけを考えても遺族は見たくないんですよ。遺族はあれを見ると13年前を思い出すんですよ。そういうことで絶対解体」

 庁舎で親族を亡くした女性は、かつては解体すべきとの思いもありましたが、震災から間もなく13年となる中で、考えが変わってきたといいます。

 南三陸町歌津「維持していくのに、現在の町の人口で若い人の負担になるのではと心配だから解体するというわけじゃない。維持していくにはどうしたらいいのかなって」

 町に代わって施設の管理をしてきた宮城県の村井知事は、町の意向を尊重する考えです。

 村井知事「あの施設があることによって、これから生まれてくる子どもたちも、いざというときにどうすればいいのか知ることができると思うので、是非保存にご理解いただきたい」