原爆で失われた長崎の浦上天主堂の鐘が戦後80年たってよみがえりました。きっかけとなったのは原爆開発に関わった医師の孫と被爆2世、日米2人の絆でした。

 爆心地からおよそ500メートルにあった旧浦上天主堂。左右の塔につるされた2つの鐘の音が地域の人に愛されてきました。

 しかし、原爆によって旧浦上天主堂はがれきと化します。2つあった鐘のうち、一つは無事でしたがもう一つは大破。再建された後も、左側の鐘楼は「空」のままでした。

 被爆80年を前に鐘を復元させる計画を進めてきたのが、アメリカ・ウィリアムズ大学のジェームズ・ノーラン・ジュニア教授。ノーラン教授の祖父は原爆を開発した「マンハッタン計画」に参加した医師でした。

鐘を寄贈したジェームズ・ノーラン・ジュニア教授(63) 「この鐘を贈ることは私たちの悲しみや後悔、和解や許しへの願いを表し、被爆者が長年にわたって受けた苦しみに対する私たちの敬意と尊敬を示すもの」

 ノーラン教授が行動を起こすきかっけとなったのが、被爆2世でカトリック信徒の森内浩二郎さんの存在です。

被爆2世・カトリック信徒 森内浩二郎さん(72) 「『左側の鐘をアメリカのカトリックの皆さんが寄贈されたらどうなんでしょう』と言った。そしたら、即“グッドアイデア”と言われた」

 ノーラン教授は、アメリカ各地で原爆の被害を伝える公演を重ねて、600人以上のカトリック信徒らから集めた寄付をもとに鐘を復元。新たら鐘は「希望の聖カテリの鐘」と名付けられ、壊れた鐘を忠実に再現しています。

 2人も祝福式に出席。地域の人たちとともに鐘の復活を祝いました。

森内浩二郎さん 「聖カテリ(聖人)にお願いした。“永遠に鳴り響いて下さい”と。破損したという出来事が今後、絶対起こらないようにという願いも込めて」

 そして迎えた8月9日午前11時2分。被爆の記憶を受け継ぐ鐘とともに、80年ぶりに2つの鐘がそろって長崎の空に響き渡りました。