常設店舗での営業が始まった宮城ふるさとプラザですが、移転の経緯を振り返ります。

 宮城ふるさとプラザの誕生は、20年前の2005年です。池袋の駅前に宮城県がオープンし、宮城県の特産品や工芸品を首都圏の人たちに届けてきました。2011年度には過去最多の約90万人が訪れたということです。

 しかし、ビルの賃貸料や運営の委託料に年間1億4000万円ほどの経費がかかっていて、この負担の大きさなどを理由に2024年12月に宮城ふるさとプラザを閉店しました。

 閉店を惜しむ声が多く寄せられ、仙台市出身のサンドウィッチマンも存続を求めました。

 こうした声を受けて、運営を担ってきた宮城県物産振興協会は独自に店舗を開くことを決め、クラウドファンディングで資金を募り2800万円が集まりました。

 この資金を基に1月、宮城ふるさとプラザは日本橋茅場町に場所を変えオープンしました。ただし2026年3月にビルが解体されることが決まっていて、あくまでも仮設店舗でした。

 宮城県の東京事務所も物件探しに協力し、今回有楽町の東京交通会館への入居が決まったということです。

 待望の常設店舗ですが、立地にはある秘密があるということです。

 東京交通会館は様々な飲食店や小売店が入居していますが、宮城ふるさとプラザの斜め向かいには、博多のアンテナショップがあります。他にも富山や北海道、沖縄など10以上のアンテナショップが入居していてアンテナショップの激戦区とも言えます。

 宮城ふるさとプラザの大蔵店長は「他の県のアンテナショップを訪れた人が宮城ふるさとプラザについでに来てほしい。競争もしながら協力していきたい」と話していました。

 交通会館の他の店やアンテナショップをはしごする中で宮城ふるさとプラザにも 訪れてもらい、宮城の魅力を伝える新たな拠点になればと期待されます。