長崎は9日、節目となる80回目の「原爆の日」を迎えました。被爆体験を語れる人の数は年々減少していて、その記憶をいかに次の世代につなぐかが、問われています。(8月9日OA「サタデーステーション」)

■平和を願い歩く“たいまつ行列”

報告・高橋和ディレクター 「小雨も降る中で「たいまつ行列」が始まりました」とか

8月9日午後8時ごろ、長崎市で始まった「たいまつ行列」。原爆で傷ついた「被爆マリア像」は、爆心地から約500メートルにあった浦上天主堂のがれきの中から見つかりました。80年前、長崎上空で炸裂した原子爆弾。その年だけで7万人以上が死亡し、その後も多くの被爆者が健康障害で命を落としています。

平和祈念式典には、ロシアを含む6つの核保有国の大使らが参列しました。

長崎市 鈴木史朗市長 「こんな世界になってしまうと誰が想像したでしょうか。『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください」

■新米教師 児童と学ぶ“あの日” 夏休み中ですが、長崎市立の小中学校では、8月9日は登校日。銭座小学校では、5年生による平和学習の発表会が行われていました。 児童 「戦争は差別が原因で起きます。差別を無くすために色んな世界の人々とコミュニケーションを取ることが大切です」 担任は4月に教師になったばかりの田村千帆先生。宮崎県出身で、被爆の歴史には馴染みがありませんでした。 長崎市立銭座小学校 田村千帆先生 「自分自身も平和学習を受けたことがないですし、それを子ども達に指導するのはすごく難しかった」

サタデーステーションは、長崎で平和教育に初めて取り組む新任教師の3か月を追いかけてきました。 先生「スープを『食べる』派の人?じゃあ『飲む』人?日本語はこっちだね。じゃあ『食べる』は間違いなの?」 児童「間違いではないけど…」 5年生は1クラスのみ、19人。その担任を務めている田村先生。長崎大学を卒業後、故郷には戻らずに、長崎で教職に就きました。 (Qどんな先生?) 児童「話を聞いてくれる」「教え方が上手」 先生「お、嬉しい!」 長崎市立銭座小学校 田村千帆先生 「子どもたちと一緒に自分も学び続けられる職が魅力的だなと思って、教職に就きました」

■原爆資料館で得た“気付き”

5月、さっそく児童たちと一緒に学ぶ機会が訪れました。田村先生にとって、初めての原爆資料館です。

児童「これ本物?」 先生「本物の大きさ」 実物大の原子爆弾の模型。爆発により爆心地付近の地表温度は3000~4000度に達したとされ、爆心地から1キロ以内にいた人の大多数が死亡。4キロほど離れた場所でも、熱傷を負うほどだったといいます。多くの児童が足を止めていた展示がありました。 先生「銭座小学校?」 児童「はい、ガラスが埋まってる」 先生「ガラスが埋まってる?」 児童「めっちゃ高速でピューンって飛んできて埋まったらしい」 先生「すごい速さだね」 爆心地からおよそ1.5キロ。自分たちが通う銭座小学校でも80年前に起きていた惨劇。疎開せずにいた約850人のうち、約500人が亡くなったと推定されています。コンクリート部分だけが焼け残った校舎は、臨時の病院として使われました。 長崎市立銭座小学校 田村千帆先生 「私みたいな県外から来た人たちは、長崎とか原爆に対して今まで馴染みがなかったんだなって思ったので、この機会を通して、もっと自分のこととして考えていけたら」

■原爆の悲劇を「自分事」に

6月、田村先生が参加したのは、長崎市の新任教師の研修。ここで、平和教育のポイントとして挙げられたのも「自分事にする」ことでした。80年前の戦争をいかに「自分事」として捉えるか。そして児童たちにも「自分事」にしてもらうためには?その糸口が見つかったのは、被爆者の八木道子さんが自身の体験を語りに訪れた時のことでした。 被爆者 八木道子さん(86) 「もうたくさんの人が亡くなりました。ハエが飛んできて、虫がもういっぱい本当にうじ虫が湧いたのよ。かわいそうだからできるだけ見ないようにして通ろうとしたけどね。臭いです。臭いは逃れることができなかった。本当にあの時の臭いは私も本当につらかった」 生々しい証言が続く中、紹介された1枚の写真。「焼き場に立つ少年」です。息絶えた弟をおぶったまま、火葬の順番を待っていたといいます。児童たちは、この同年代の子どもの写真に心を動かされていました。 児童 「私もきょうだいが3人いて、もしそうなって(亡くなって)いたら、ずっと泣いていたかもしれないから、戦争が無くなればいいって思った」 まさに「自分事」として戦争を考え始めた児童たち。そして8月9日、“平和の日”に行われた特別授業。田村先生が決めた授業のテーマは、「もしもあの時、自分や大切な人が長崎にいたら」 長崎市立銭座小学校 田村千帆先生 「具体的に家族や友達をイメージすることで、より考えやすくなるんじゃないかなって思って」 「自分事」にすることで、具体的な表現にも繋がりました。 児童 「近くにがれきなどで埋まっている人がいたらそれを助けて、その後に飲み物や食べ物を探して、その後に家族などを探す」 「私は怖いけど、自分を犠牲にして他の人を守ります」 長崎市立銭座小学校 田村千帆先生 「みんなが今みたいに、想像したりとか考えたりとか、お互いに伝えることが、未来の平和のために私たちにできることなんじゃないかなって、私も思います」 初めての平和教育。これからも模索は続きます。