日航ジャンボ機墜落事故からまもなく40年です。事故の犠牲となった国民的歌手坂本九さんの妻で俳優の柏木由紀子さんは「寂しい気持ちは変わらない」と語りました。
柏木由紀子さん 「暑い夏が来ると、やっぱり『ああ、また来たな』という感じですね」
40年前の1985年8月12日、羽田空港を出発し大阪・伊丹空港へ向かっていた日本航空123便は、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
乗客乗員520人が死亡し、4人が重傷を負ったこの事故で、歌手の坂本九さんも犠牲となりました。
柏木由紀子さん 「40年というと本当にすごく長かったなと思うし、でもそこまで経っていないような気もするし。『夫婦そろって旅行したのよ』という話を聞くと、やっぱりうらやましいし、寂しいなって思うし、それは変わらないですよね、ずっと」
事故の後、柏木さんは乗客乗員の安否を確認する場だった群馬県藤岡市の体育館へ祈るような思いで駆けつけましたが、目にしたのは変わり果てた坂本九さんの姿でした。
胸には、日頃から身に着けていた夫婦にゆかりのある神社のペンダントがありました。
柏木由紀子さん 「四角いんですけど、割れちゃっているんです。お守りとして大事にいつも持って歩いています」
「大切な人を失った悲しみは40年を過ぎても癒えることはない」。それでも柏木さんはここまで一歩ずつ、上を向いて歩き続けてきました。
柏木由紀子さん 「最初のうちはパパの歌はまったく聞けなかったんですよ。ある時から(娘たちと)3人でコンサートを始めて、『パパの歌を引き継いでいこう』みたいな感じで、パパの話もできるようになって、一歩前に進めたっていうのがありますね」
そして自身の経験を踏まえて、苦しい境遇に直面している人たちに向け「つらい時は我慢しないでほしい」と訴えました。
柏木由紀子さん 「自分だけで苦しむんじゃなくて、やっぱり悲しい時は『悲しい』と言って泣いて。周りの方ですよね。話を聞いてくれるというのはすごくありがたいことなので、(遺族は)言うだけでも、少し楽になるっていうのはあるので、聞いてあげることって、すごく大事だなと思いますね」
航空機の単独事故として世界で最も多くの人々が亡くなったあの日から40年。
遺族の高齢化が進むなかで、柏木さんは「風化させないように次の世代に伝えていきたい」と決意を新たにしています。
柏木由紀子さん 「8月が来ると、色んな取材をしていただくんですけど20代の方、30代の方もいらっしゃるし、(当時を)知らない方も多くて、そういう方に質問されると、ああ、40年経ったんだなっていうのもあるし、伝えていかなきゃと思っています」