東日本大震災の津波で全壊した宮城県の南三陸消防署に勤務していた元消防署員の男性は、津波にのまれかろうじて一命を取り留めました。町民を救う立場にありながら救えなかった後悔と、今伝えたい事です。
震災後、高台に場所を移した南三陸消防署の庁舎の前には、気仙沼・南三陸地域で殉職した10人の消防隊員の名前が刻まれた慰霊碑が建てられ、毎朝、若手署員が掃除を欠かしません。
今は更地となり跡形もなくなってしまった旧南三陸消防署に地震発生直後、招集され非番ながら駆け付けたのが、元消防署員の及川淳之介さん(71)です。
到着した時には、既にほとんどの車が避難広報に向かい、指令室では署員十数人が情報収集に当たっていました。指令室には緊張感が走っていたと言います。
及川淳之介さん「本当にみんな浮き足立っているっていうか、異常だっていうのは自分でみんな肌で感じていたと思うんですよ。それに対して不安なのかな。私も含めてそういう状況でしたね」
当時の消防無線の記録です。各隊から異変を知らせる報告が相次ぎ、緊迫した様子が伝わってきます。
「現在津の宮。津の宮は3メートル以上の引き潮確認」
「南三陸から各隊、出動各隊は高台へ避難せよ」
「至急至急、現在岩井崎沖に高さ10メートル以上の津波襲来を確認している」
及川淳之介さん「大島で今10メートルの津波が押し寄せてるって情報が入って、うそ言うなって自分では思っているんですよ。目視で見ているから10メートルっていうことになるんだろうって」
及川さんもとっさに消防署の前の道路に出て、海へ走る車を山側に向かわせる誘導を始めますが。
及川淳之介さん「えっと(背の方を)見たら、真っ黒い波がスローモーションのように押し寄せてくるんですよ。駄目だ逃げろってなって、私は車庫から2階の通信指令室に逃げたんです」
津波は、2階の天井近くまで到達しました。及川さんは割れた窓から外へ飛び出し、流れてきたタイヤにつかまります。
旧南三陸消防署は、海岸から約1.5キロ内陸にあり誰もここまでの津波が来るとは想定していませんでした。
無線記録は、午後3時31分の応答を最後に連絡が途絶えます。
きっと誰かが助けてくれるとわずかな希望を託し、及川さんは何度も波にのまれながらも周りのがれきにしがみつきました。
及川淳之介さん「極限状態になると、音は聞こえない。それから寒さを感じない、水の温度とか。耳で聞こえるもの、聞こえないんです。目だけが見てるから、目だけが分かるんです」
引き波で、志津川湾まで流された及川さんは体力が限界に達し、諦めの気持ちが次第に大きくなった時、頭に浮かんだのは家族の姿でした。
及川淳之介さん「あきらめて海に沈んでも良いと思って沈んでいたら、子どもたちのちっちゃな時の笑っている顔とか、ブランコで遊んでいる姿が出てきたんです。これでは駄目だ。絶対生きてやるって、またはい上がってきたんです」
渦巻く海を10キロ余り漂流し、南三陸町立戸倉中学校の西側に流れ着きます。漂流から3時間が経ち、辺りは既に暗くなっていました。
及川淳之介さん「記憶が戻ったのはここで、ふっと見たら右側に杉山が見えたんです」
たき火の明かりに向かって助けを求めた及川さんは避難していた住民たちに助けられ、何とか一命を取り留めました。
東日本大震災から14年8カ月が経過し、南三陸消防署では全署員のうち半数以上が当時を知らない世代になりました。教訓の継承が大きな課題です。
南三陸消防署遠藤貴史消防指令「あの時の後悔って言えば、逃げるという判断ができなかったこと。そこですかね。言葉で伝えたり、訓練の中で伝えたりして殉職事故を出さないようにすることが、我々残された職員の使命だと思います」
南三陸消防署佐々木夏蓮消防士「震災を消防士として経験している上司の方々からお話をいただくことはある。いつどこで災害は起こるか分からないので、そういった時に備えていつでも地域の方々に寄り添えるように」
震災後、及川さんは職場以外で体験を語ることを避けてきました。町民や仲間を救えなかったという負い目からでした。
及川淳之介さん「我々消防職員は、本来、人を助けることが仕事。何を今までやってきたのか。津波対策もいろいろ指導してきた。避難訓練も指導してきた。何をやってきたのかって」
2024年4月、及川さんに転機が訪れます。気仙沼市の震災遺構・伝承館の館長に就任しました。自分が伝えることで1人でも多くの命が救えるかもしれないと、後悔を抱えながらも未来のために語ることを選んだ及川さん。その声は次の世代へ、命を守る力を問い掛けています。
及川淳之介さん「見て聞いて感じて、そしてどうしたら自分の命を守れるかを考えてもらいたいなと思います」「使命感のために自分も命を落としてしまっては、今から助けられる人も助けられないのではないか。とにかく早い時間に消防隊も高い所に引き上げるということが教訓だと思います。早く逃げろということですね」