俳優の仲代達矢さんが92歳で亡くなりました。最後に立った舞台は石川県能登半島。“第2の故郷”への思いがありました。

■仲代達矢さん 死去

 今年6月、仲代さんの姿は石川県七尾市に。92歳、この日も舞台が待っていました。

 黒澤明監督の「影武者」や「乱」など、数々の日本を代表する名監督の作品に出演してきた仲代さん。

 しかしやがて、その軸足は舞台に。自身の劇団「無名塾」を立ち上げ、後進の育成に力を注ぎます。

仲代達矢さん(当時46) 「無名塾の若者たちと年齢的な青春は過ぎたが、精神的な青春を彼らとやみくもにやってみたい」

 若者に対する思い、人間に対する思い。それは役を演じるうえでも仲代さんの中心にありました。

仲代達矢さん(当時89年) 「人間を見る目、どうしようもない若者、それをどうやって見つめているか。人間に対する信頼度を中心にして描きたい」

■能登が最後の舞台“特別な思い”

 現在、無名塾の活動拠点となっている七尾市。40年以上前、仲代さんが家族旅行で能登を訪れたことがきっかけでした。

仲代達矢さん 「素晴らしいところで、空気はいいし人柄もいいし、こういう静かなところで稽古ができたらいいなと」

 その地に完成したのが「能登演劇堂」。

 舞台の奥の大扉を開くと、背後に広がる実際の里山の景色が目に飛び込みます。演目によっては、そこから役者が登場することも。

 能登ならではの借景を取り込む演出が可能な唯一無二の劇場です。

 ところが去年の元日、能登半島を地震が襲います。

 演劇堂ある七尾市は震度6強を観測。自慢の大扉も破損し、開閉ができなくなりました。

 直後に駆け付けた無名塾のメンバーによる支援活動。東京にいた仲代さんも当初は一緒に能登に向かおうとしたといいます。

 若者の育成のために立ち上げた無名塾。その活動拠点となった能登は仲代さんにとって、かけがえのない場所になっていました。

仲代達矢さん 「人間は生きているんだぞというのを届けたい。私は東京生まれ東京育ちですけど、この能登は第2のふるさと。一緒に幸せに、お互い能登の人たちよ、生きていこうよと大声でしゃべりたいと思っています」