東日本大震災直後、消防隊員は住民の避難誘導や救助に当たりました。宮城県名取市の消防が残していた、約100時間にわたる当時の無線記録です。
宮城県名取市の閖上地区は、東日本大震災で大津波が押し寄せました。名取市消防では、地震直後から被災者の救出に当たることになりました。現場の隊員たちと本部で情報をつなぐ消防無線の当時の記録です。
「怪我人多数、救急1出動」「逃げ遅れ多数あり、応援要請」
14ページ約100時間分の消防無線記録からは、救助要請が相次ぐ当時の緊迫した様子が伝わってきます。
2011年3月11日の午後2時49分、宮城県沿岸に大津波警報が発表されました。名取市消防本部閖上出張所のポンプ車、閖上1と各消防団が本部からの指示で沿岸部の避難広報へと向かいました。
名取市消防本部石川康裕次長「ちょうど角辺りが建物になっていました」
震災当時、閖上出張所の隊員だった石川康裕さんは非番で自宅にいましたが、地震発生を受けてすぐに出張所へ向かいます。
当直の隊員3人は既に出動し、出張所には誰もいませんでした。石川さんは自らも避難を呼び掛けようとスクーターを取りに、いったん自宅方向へ歩き出します。その途中で。
名取市消防本部石川康裕次長「細い橋が架かっていて、そこに着いた時点で震災前の閖上3丁目で住宅が崩れ始めたというのが見えたんですね。とっさに直感で津波だと分って、そこから引き返して出張所の方に走って逃げました」
同じ頃、別の現場でも隊員が異変に気付きました。地震の影響による交通事故の救助で、名取川に架かる閖上大橋に出動していた江川圭さんです。
名取市消防本部警防課江川圭課長補佐「水平線の方から茶色い津波の壁が見えて、7メートルぐらいあるのかなという感じだったんですが」
「閖上、津波が上がっている」
本部に無線で報告し、住民たちと迫ってくる津波を見守ることしかできません。波は橋の欄干に当たる程度で、橋の上まで来ることはありませんでした。
名取市消防本部警防課江川圭課長補佐「津波が橋の上まで来ていたらどうだったかというところで、実際に当時の判断が正しかったのかどうかは、今となっても分からない状況です」
一方の石川さんは、津波から必死に逃げていました。交差点を横切る時、遠くに見えたのは見慣れた赤い消防車でした。
名取市消防本部石川康裕次長「湊神社辺りに赤い車が見えたと。大きいのと小さいのと2台見えたというところで、直感的に閖上のポンプ車と消防団の車両かなと思いました。立ち止まって声を掛けられなかったのか、というところもありますし」
津波は渦を巻きながら町全体をのみ込み、閖上出張所も波に包まれていきます。
名取市消防本部石川康裕次長「見た光景はもうとにかく屋上に上がるのが必至だったので、上がって初めて周りが見えてもうその時は周りは全部水でしたね。ただただ閖上がなくなってしまったと。閖上地区、壊滅状態ですとまず一報を入れて、その後閖上1と何回か呼びましたけど、応答はなかったですね」
閖上出張所の隊員3人は、避難を呼び掛ける活動の最中に津波に巻き込まれ、殉職しました。
名取市消防本部石川康裕次長「毎日のように顔を合わせてましたし、当然色々な仕事も一緒にしてきた仲間ですので今思ってもやっぱり苦しいですね」
津波の後、逃げ遅れた住民が住宅の屋根やがれきの上に取り残され、消防は夜通しで捜索と救助に当たりました。
「車両の上に10名くらい残されている」
名取川沿いの田んぼに流されてきた車に取り残された人たちがいる。江川さんたち救助隊が現場に向かいました。
名取市消防本部警防課江川圭課長補佐「声を頼りにどこにいますかと、アンサーの声をいただいて」
明かりが無い中、がれきを避けながら水の中をゴムボートで往復しました。
名取市消防本部警防課江川圭課長補佐「必ず助けに行きますから、もうしばらく我慢してください、と」
午前4時すぎまで5時間以上かかって、赤ちゃんを含む10人を救出しました。翌朝には、宮城県内外から応援の消防隊も到着し救助活動が加速していきました。消防では、3月14日までに出動した93の現場で457人もの命を救いました。
消防隊員は、命を救おうと最前線で活動し続けました。消防無線の記録が伝えるのは、過去の出来事ではなく次の災害で誰かの命を守るための声です。