震災遺構となった宮城県石巻市の門脇小学校に通っていた当時の小学生が、語り部として自らの体験を語り継いでいます。若き語り部が考える備えです。
高橋輝良々さん「誰もがみんな助かりたくて、助けたくて必死だったこと。たくさんの震災遺構や被災者が伝え続けてくれています」
高橋輝良々さん(22)は震災当時、門脇小学校の1年生でした。友だちと一緒に下校していた2011年3月11日の午後2時46分に大きな揺れが襲いました。高橋さんはすぐに、先生がいる学校に戻りました。約240人の児童が学校の裏にある日和山に避難するため、急な坂や階段を駆け上がりました。
高橋輝良々さん「本当に見えない物から逃げている感覚がずっと続いた。先生が不安だった表情っていうのは、記憶にはあまり無くて。そういう姿とか気持ちは一切見せないように、先生たちも頑張ってくれていたんだろうなって思います」
その時に南浜・門脇地区を渦を巻くような大津波が襲いました。
高橋輝良々さん「津波が破壊していく音、バキバキとかゴーっていう音とか車のクラクションの音とか。この場所に着いてから聞こえるようになって、初めてすごい怖いと思いました」
門脇小学校の児童7人が亡くなり、その中には高橋さんの親友もいました。夢を追いかける高橋さんにとって、大きな支えでした。
高橋輝良々さん「私が、小学校の先生になりたいんだよねって話したら彼女も、私もだよ、一緒になろうって言ってくれて。自分が大好きな友だちと一緒っていううれしさが、多分ものすごく大きくて」
教師になるという夢を実現するため、高橋さんは宮城教育大学に進学しました。震災について学ぶゼミで当時の門脇小学校の校長、鈴木洋子さんと再会しました。教師として防災教育に携わりたいと打ち明けました。
高橋輝良々さん「命を守る大切な教材になるから、忘れないでずっとその持っている思いを持ち続けてねって言ってくださったので」
高橋さんは、今でも語り部を通して恩師とつながっています。
鈴木洋子さん「めんこい子ども、教え子。これからが教師として一歩ね。悩みながらも頑張ろう」
高橋輝良々さん「頑張ります」
小学校の先生にあこがれ続けてきた高橋さん、4月に夢をかなえます。
高橋輝良さん「あの頃の自分が学校に対して抱いてた憧れとか、大好きっていう気持ちを子どもたちも持ってもらえるような、先生としてサポートができたらいいなと思って。すごく楽しみです、子どもたちに会うことが」
先生から教わったことを胸に、今度は高橋さんが子どもたちの命を救うために伝えます。
高橋輝良々さん「私にとっての備えとは、防災は人を思いやるところから生まれるんじゃないかなって考えるようになりました。自分の命を大切にするとか、周りの人を大切にしたいという思いが大切な人たちと避難する場所を決めるとか、そういった行動につながっていくのかなと思います」
同じく震災当時小学生だった、語り部の千尋真璃亜さんです。
千尋真璃亜さん「語り部としてたくさんの方に向けて経験を伝えるということは、記憶を掘り起こしていかないといけない。すごく心にも大きな負担が掛かると実感しています」
海からわずか400メートルにある宮城県山元町の震災遺構中浜小学校。千尋真璃亜さん(24歳)は震災当時、中浜小学校の3年生でした。
千尋真璃亜さん「みんなで毎日昼休みだったり放課後にはしゃいで遊んでいたことは、すごく記憶にあります」
千尋さんは15年前、教室で大きな揺れに襲われました。
千尋真璃亜さん「早く終わってくれ終わってくれって思いながら、ひたすら耐えるしかなかったなって」
揺れから約30分後、10メートル以上の津波が来るとの情報が入り津波の到達予想時刻は10分後でした。
千尋真璃亜さん「他に考える余裕が無いくらい無我夢中で上に上がっていたことは、記憶にありますね」
90人の児童と教職員らで屋上に避難しましたが、海から迫って来る津波を目にしました。
千尋真璃亜さん「衝撃が一番大きくて、それと同時にこれに今から襲われるんだなって思ってしまって、そこで初めてここにいるってことは死んでしまうかもしれないって。ひたすらみんなで手をつないで、周りの子たちと死にたくない死にたくないってずっと言ってここで泣いていたのは、一番覚えているところですね」
児童たちは、屋上の倉庫に入り鉄骨にしがみつきました。
千尋真璃亜さん「家族が無事かどうか、私だけ生き残ってたらどうしようとか最悪のことまで考えていたことも正直ありましたね」
寒さと不安で一睡もできず、気づいたら朝を迎えていました。翌朝救助に来た自衛隊のヘリコプターに懸命に手を振り、居場所を知らせました。
千尋真璃亜さん「やっとここから救助されるんだなと少し安心しました。ヘリまで一直線に行きましたね」
90人の命が助かりました。
千尋真璃亜さん「一瞬で人の命が多く奪われてしまうということを身をもって感じて、生命に関わるような仕事に就ければいいなとも感じたので」
小さな頃から憧れていた看護師になるため、看護学校で3年間勉強を重ねました。今は仙台市の病院で看護師として後遺症がある人の生活支援などを行っています。
千尋真璃亜さん「生きることと人の死ということを一気に感じた経験が震災だったなと思うので、心に寄り添えるような看護師になりたいなという思いがずっとあるので」
社会人3年目の千尋さんは、語ることに意味があると休日には中浜小学校を訪れて自身の経験を伝え続けています。
千尋真璃亜さん「私にとっての備えとは、自分と周りの大切な人を守るための行動だと考えています。災害に対する知識を付ける、意識を持つ、常に考えることも備えるっていうところで一番重要なんじゃないかと思っています」