東日本大震災の津波で最愛の妻と孫たちを亡くした宮城県石巻市の男性は、震災から15年が経ち気持ちは揺れ動きながらも前へと進んでいます。

 海岸に穏やかな波が打ち寄せる石巻市北上町に暮らす佐藤富士夫さん(77)は、震災の津波で最愛の家族3人を亡くしました。

 料理が得意でいちも側で支えてくれた妻の成子さん、初めての孫で小学4年生だった帆高君は、野球と海が大好きでした。おじいちゃん子で元気な女の子の杏慈ちゃん。

 15年前、激しい揺れの後に佐藤さんは年老いた両親を連れて裏山に避難しました。

 成子さんは、総合支所に避難した帆高君と杏慈ちゃんを迎えに行きましたが、そこで3人は津波に襲われ亡くなりました。

 佐藤富士夫さん「朝にバス停に送って行って、そこで気をつけてねが最後だったことが非常に悔しい」

 佐藤富士夫さん「おじいさんとは絶対離れないからね、という言葉は絶対に忘れることはできない」

 深い悲しみの中、3人が眠る墓を欠かさず訪れました。少しでも時間があれば、この場所で3人に語り掛けていました。

 仮設住宅で暮らしていた当時、亡くなった3人の写真が布団に並べられていました。

 佐藤富士夫さん「夢にも出てくれないからね。毎晩、写真抱いて寝てるんだけど、かなわないんですよね」

 夢でいいから会いたいと思う夜が続きました。

 震災発生から4年が経った2015年、佐藤さんは石巻市の追悼式で遺族代表としてあいさつすることになりました。

 その数日前、佐藤さんは3人のもとにやってきました。

 佐藤富士夫さん「おじいさん勉強するからね。みんなで聞いて下さい」

 佐藤富士夫さん「兄、妹、同じ時間に火入れが行われましたが、あの時の絶望的な思いは生涯忘れることができないと思います。やっぱり駄目ダメだな。杏慈、お兄、おばあ、何ともおじいさん、やっぱりどうしても泣いてしまうな」

 佐藤富士夫さん「悲しみだけの記憶では寂しすぎます。これからの人生に何らかの明るい希望を見出せることがあるはずです」

 追悼式では、天国の3人に見守られて大役を務め上げることができました。

 当時、孫の和(のどか)ちゃんが佐藤さんに光を与えてくれました。

 佐藤富士夫さん「元気でおじいさんとは少しけんかするくらいな、元気な子になってもらいたい」

 和ちゃんは、3月11日に生まれました。帆高君や杏慈ちゃんの命日です。

 佐藤富士夫さん「あえて3月11日に生まれてきたということは、亡くなった3人のその日に合わせてくれたのかな」

 震災から9年後の2020年。佐藤さんは3人の死を徐々に受け止められるようになってきたと話しました。気持ちが落ち込むことが減ったということです。

 佐藤富士夫さん「何て言うのかな。仕方がないのかなみたいな感じだよな。もう諦めしかないのさ。どうしようもない、誰が悪いわけでもない自然大災害だからさ」

 震災から15年。佐藤さんは3人の写真と一緒に眠りに就きます。

 佐藤富士夫さん「頭から離れないよ、何年経ってもね。どこの人たちもみんなそうだと思います」

 佐藤さんに、新たな日課ができました。2025年からパークゴルフを始めて、被災した地域の人たちと楽しんでいます。友だちも増え、気持ちが明るくなったと話します。

 佐藤富士夫さん「ここに来ると、生きがいみたいな感じでね。色々な方と会えるし、色々な話もできる」

 佐藤さんを取り巻く環境は大きく変わりましたが、墓を訪れ3人に語り掛けることは変わっていません。

 佐藤富士夫さん「杏慈おねえちゃん、おはようございます。帆高おにいちゃん、おはようございます。成子ちゃん、おはようございます。まだいろんな寂しいことは一杯あるけど、おじいさんも何とか頑張ってもう少し」