東日本大震災を乗り越え、地域に愛された宮城県石巻市の鮮魚店です。コロナ禍で苦境に立たされ、3月、惜しまれながらも50年の歴史に幕を下ろしました。

 市場から仕入れた新鮮な刺身に、分厚い卵焼きや肉じゃがなど手作りの惣菜が並ぶ店内。
 買い物客「お魚買いに行くよというと、子どもたちも『まるか』に行くのという感じで一緒に来てたので、だから寂しくなるねって」
 すし店を営む男性「物が良いし信頼のおけるお店なので、それで来てるんですけど、とっても残念ですよね」

石巻の食文化を支える

 石巻市中心部にある鮮魚店、プロショップまるか。50年にわたって店を経営してきた佐々木正彦社長(69)です。
 数年前から一線を退き、店の営業は従業員に任せていますが、その目利きで、石巻の食文化を支えてきました。
 プロショップまるか佐々木正彦社長「うちで変なもの売ったら、お客さんの口に入った時にその人が言われるわけだからそれは気を付けましたね。
 すし屋さんとかに出せる鮮度の物を、一般のお客さんにも買ってもらってたというところがちょっと頑張ったところかな」

震災の2ヵ月後に営業を再開

 東日本大震災で津波に見舞われましたが、ボランティアらの力を借り、わずか2カ月後には営業を再開。津波で店を失った市内の飲食店に店舗の一角を貸し、石巻名店街としてともに客を迎えました。
 中国料理楼蘭長澤恭子さん「まず、温かいお料理をお客様に提供できることがとてもうれしかったです。前、お店に来ていただいたお客さんもこちらに来ていただいて、これから再開するに当たっての足掛かりになっています」
 食事をする場所がないというボランティアの言葉をきっかけに設けられた食事スペースは店の代名詞となり、いつも地元の人でにぎわいました。

 震災を耐え抜いた、まるか。しかし、今度は新型コロナウイルスが店を直撃します。飲食店の休業や時短営業で、200店ほどあった取引先はわずか10店に減りました。
 2月の売り上げはコロナ前の8割も減り、佐々木社長は自身の体調や70歳を目前にした年齢も踏まえ、店を畳むことを決めたのです。
 プロショップまるか佐々木正彦社長「我慢してきたんですけどもうどうしようもない。同じ物を近くのスーパーとかで買えるはずなんですけど、うちへ来てくれる付加価値みたいなものを感じてくれるお客さんに申し訳ないと思いますね」

コロナ禍で閉店を決意

 この店に30年近く通うそば店の店主です。
 そば店を営む男性「ここ以外、買ったことないので魚を。どこで買うのって他の魚屋さんの名前が分からない。素晴らしいお魚を常に仕入れていただいてました。今後、大変です」

地域に愛されながら閉店

 3月31日、閉店当日。まだ静かな店内でいつものように惣菜作りが始まります。
 午前9時、小雨が降り続く中、最後の営業が始まりました。すると、次々に常連客が。
 災害公営住宅に暮らす高齢の女性。料理をしなくなり、毎日、この店で惣菜を買っていました。
 高齢女性客「肉じゃがとかおいしいのあるのね。終わりだっていうしがっかりする。ちょうど良いの、しょっぱくなくて」

閉店日に常連客が訪れる

 前日も魚を買いに来たそば店を営む男性。
 そば店を営む男性「ご苦労さんねって、それしかないじゃないですか。
ありがたく我々も仕事ができました。感謝しております」

 震災後、石巻名店街で4年間営業していた中国料理店の店主。店の最後を見届けようと駆け付けました。
 中国料理楼蘭長澤恭子さん「長い間、お疲れさまでしたとそれだけです。
大変お世話になりました。今があるのも社長のおかげです」

50年の歴史に幕

 あの時、ともに困難を乗り越えた仲間たち。過ごした時間の厚みだけ、思い出があります。
 プロショップまるか佐々木正彦社長「ちょっとうるっときちゃった」
 そして、午後4時すぎ。プロショップまるかは、50年の歴史に幕を下ろしました。
 プロショップまるか佐々木正彦社長「本当にありがとうございますしかないね。長い間本当に。寿司屋さんや業務店の方は困ると思うんですが、そのうちきっと僕の代わりになるような店が出てくると思います。本当にありがとうございますしかないね。長い間本当に」