終戦後にロシアのシベリアに抑留され現地で亡くなった、宮城県登米市出身の男性の遺骨が19日に遺族に手渡されました。
19日午後に宮城県の職員が登米市の遺族の元を訪れ遺骨を手渡しました。
DNA鑑定によって身元が判明したのは旧米川村、現在の宮城県登米市出身で旧陸軍の伍長だった櫻戸貫夫さんです。
櫻戸さんは1941年に招集された後、中国東北部の旧満州に配属されました。
終戦後、旧ソ連により抑留された櫻戸さんは1947年7月15日、ロシア・ハバロフスク州の収容所で栄養失調と急性肺炎により26歳の若さで亡くなったということです。
櫻戸さんの遺骨は、政府の調査団によるDNA鑑定で9月に身元が判明しました。
遺骨を受け取った甥で地元の神社で宮司を務める櫻戸正道さんは、感無量の様子でした。
甥の櫻戸正道さん「よくぞ、こちらの方に帰ってきていただいたと思います。家族の一員としてゆっくり休んでいただきたいですね。平和を見守ってほしいと思います」
旧ソ連により、終戦後60万人近い日本人がシベリアなどに抑留され、約5万5000人が亡くなったということです。