幻想的な絵画を描くアーティストの男性は、進行性の筋ジストロフィーと向き合いながら作品を描き続けています。
仙台市在住のアーティスト山下重人さん(52)は、3歳の時に筋ジストロフィーと診断され、小学3年生から車いすでの生活を余儀なくされました。今は、わずかに動く右手が頼りです。
絵を描くために欠かせないペンは、握りやすいよう輪ゴムでアレンジしています。手の位置が数ミリずれてしまうと、動かすことができません。人工呼吸器などを使っているため外出は年に数回のみで、ほとんどの時間を自宅のベッドで過ごします。
9月、山下さんは20年ぶりとなる個展を開催しました。これまで出会った人たちに感謝の気持ちを伝えたいと、タイトルは「使命とは、己の命の使い道」。
個展のタイトルにした絵画は、強い意志を持って今を生きる力強さとはかなさを描いています。他にも、夜空や植物、動物などを描いた絵画が並びました。
来場者「鮮やかできれいで感動しました。引き込まれるようで」「心の中にある物が雄大な宇宙や自然に表されている感じがして、この絵の意味を知りたいんだけど自分には分からない感じがする」
山下さんは、1日6時間在宅で事務職として働く会社員です。仕事終わりや休日に絵を描く生活を18年間続けています。長い時は4時間ほど作品作りに励みます。
山下さんの絵は鮮やかな色使いが特徴です。星や月など夜空に輝く様々なモチーフは、いつでも外の景色が見られる人への憧れから、キャンバスへの表現を通して美しい空を想像しているということです。
「絵を描くことでみんなに元気を届けたい」と、子どもの頃から他の人が描かないような絵を描いてきました。
山下重人さん「この頃も同じ考えで見た物を描くのではなく、独自のものを求めていましたが、体が重度の障害にになるにつれて明るい色を組み合わせて細かくなっていきました。この頃は描くことで自分自身が元気を得ていたんだと思います」
山下さんの作風が変わり始めたのは5年ほど前です。新型コロナの流行で人々の生活が一変し、山下さんの創作への思いも変化しました。
コロナ禍でつらい思いをしている人に元気を与える絵を描きたいと、これまでの作風をがらりと変えて幻想的な世界を描くようになりました。
この数年の変化は作風だけではありません。電子書籍の充実により様々な本を読めるようになったり、配信環境が発達し友人とコミュニケーションがとりやすくなったりして、充実した日々を送れるようになったということです。
山下さんは、絵を描くことと同様に詩をつづることを大切にしています。自分を表現する大切な手段として、これまでに700作以上をしたためてきました。
「母へ。僕とあなたの共通点といえば、たわいもない昔のことをよく覚えていることでしょうか。その大半は失敗話か笑い話でしたね。僕の想像力はこうしてあなたから与えられ、育んだものです」
仙台市から遠く離れた愛媛県で過ごす母親、節子さんに向けて書かれた詩です。個展では、母親の節子さんとの再会を心待ちにしていました。
山下重人さん「うれしすぎて、15年ぶりだから興奮して言葉にならない。お母さんも涙が」
久しぶりの親子の時間です。
母親串間節子さん「クラスでもみんなのノートに絵を描いていた。絵の好きなところは旦那に似たのかもしれない。よくここまで自分で来られた。親は何もしてあげられなかったけど」
懸命に絵と向き合ってきた結果、最近は企業の商品ラベルなどに選ばれる機会が増えてきました。自らの作品を通じて筋ジストロフィーという病気を理解してもらう、良い機会だと感じています。
山下重人さん「詩集を通じて絵を見てもらうことが夢です」
これまでに出会い、支えてくれた人への感謝の気持ちを込めて、山下さんはこれからも描き続けます。