東日本大震災からまもなく15年。早めの避難は、津波から命を守るために欠かせませんが、人は何をきっかけに逃げるのでしょうか。大津波が襲った宮城県名取市閖上では、消防団員の呼び掛けが住民の命を救っていました。

 名取市閖上では、約7000人の住民の1割を超える754人が犠牲となりました。

 当時消防団員だった高野俊伸さんは震災発生後、住民に避難を呼び掛けました。

 高野さんは母親を避難させた後、別の団員と合流し消防車に乗り込みました。

 高野俊伸さん「消防車を止めてマイクで、大きな地震があったので津波が来る恐れがありますので避難してくださいと広報して。片付けている方や立ち話を近所の人としている人が多かったですね」

 過去の地震で大きな津波被害が無かったとされ、閖上には津波は来ないと信じる住民も少なくありませんでした。

 地震発生から1時間、商店街を中心に地区を一通り回り終えた高野さんは運河に架かる橋に差し掛かった時、異変に気づきます。

 高野俊伸さん「波は白いイメージがありましたが、遠くに白い波というか本当に壁のように迫って来るのが見えてきたんで、これが津波なのって」

 高野さんは商店街を引き返しながら、サイレンとマイクで必死に叫びました。

 明治時代から続く造り酒屋を営む佐々木洋さんが、高野さんの声を聞いて外に出てきました。

 佐々木洋さん「消防団の車がすごいスピードで駆け抜けていきながら、怒声に近い形で避難を呼び掛けている。もう来たのかもしれないと思って振り返って」

 佐々木さんはとっさに酒蔵の屋上へ。その数秒後に津波が到達し、難を逃れることができました。

 佐々木洋さん「携帯もつながらないし、車から降りてしまうと情報が入らない状態で、住民の人たちの避難の様子を見るけれども、やっぱりそこに緊迫感というか切迫感は生まれていなかったんですよ。本当に私の命をつないでくださった言葉だなって、今でも覚えています」

 背後から津波が迫る中、避難を呼び掛けながら車を走らせた高野さんは、閖上小学校の外階段を駆け上がり何とか助かりました。

 高野俊伸さん「年々色々と思い出すと、あれでよかったのかなっていうのはやっぱりあります。あそこで消防車を止めれば助けられたんじゃないかなっていうことをやっぱり一番。知っている方たちだったので、助けたいということもあるけども、自分の命も隊員の命も守らないと駄目だということもありますし」

 東日本大震災から15年。高野さんは、名取市震災復興伝承館で教訓を伝え続けています。

 高野俊伸さん「自分の命は自分で守るしかないんだよということは、一番だと私は思っています。もう1つは、率先して逃げて欲しい。それを見た住民や周りの方たちも、逃げないと駄目なんだねという。まずは自分が行動を起こさないと、周りに伝わらないのかなということは感じています」