khb東日本放送では東日本震災が発生して間もなく、避難所に身を寄せた人たちがテレビを通じて連絡が取れない家族や知人にメッセージを伝えました。当時、khbに伝言を託してくださった家族3人を亡くした姉妹の15年です。
宮城県気仙沼市の及川英美さん(40)と姉の小野寺庄子(42)さんです。英美さんは夫と4人の子ども、庄子さんは夫と義理の父、3人の子どもと暮らしています。
及川英美さん「遠くから行ってらっしゃいと手を振ってくれた、母の姿は覚えてますね。軽トラックに乗り込む父の後ろ姿は。いつものその最後の風景は15年経っても覚えてますね」
小野寺庄子さん「じじ、ばばって直接言われたらどんなにうれしかったかなって。15年前は何もそんなことを考えられなかったけど、欲を言えばさせてあげたかった」
震災直後、庄子さんと英美さんは放送で母と祖母の安否を必死に呼び掛けました。
小野寺庄子さん(27)及川英美さん(25)「天国にいるお父さん、庄子、英美、2人で力合わせて頑張っていくからね。おばあちゃん、お母さん、まだ連絡取れていません。もし誰かに救出されてお世話になっているなら連絡ください」
酪農を営んでいた及川さん一家は、津波で両親と祖母が帰らぬ人に。東京へ旅行に行っていた庄子さんと英美さんだけが助かりました。消防団員でもあった父は避難誘導中に津波にのまれて亡くなり、母と祖母は今も行方不明のままです。
仮設住宅で姉妹2人だけの生活が始まりました。2人は津波に飲まれた自宅周辺で、母と祖母の手掛かりを捜し続けました。
小野寺庄子さん「会えないって分かっているんですけど、でもまだ心の中ではちょっと期待して」
及川英美さん「早く見つけてあげたいと思うんですけど、何もできない。手掛かりが無いことも悔しくて」
震災翌年の2012年に、2人が書いたメッセージ。
小野寺庄子さん「『復幸』です。天国に生きるお父さんとかやっぱりお母さんとかおばあちゃんも、2人でやっていくことを望んでいると思うし」
及川英美さん「生きたくても生きられなかった両親、祖母の分まで幸せになれるように」
震災から2年後。英美さんは結婚し、瑛那ちゃんと咲瑛ちゃんの双子が生まれました。英美さんの夫は当時単身赴任中で、庄子さんが我が子のように子育てを手伝い、姉妹で支え合いました。
及川英美さん「うれしいのも2倍、困る時も2倍、全部2倍なんですけどかけがいのないもの。大切だしかけがいのないし、守っていかなきゃって思うし、でも何でしょう。おひさまみたいな存在ですかね」
この年、自宅があった場所は更地になりました。
及川英美さん「冷たい海の中じゃなくてせめてお父さん1人で待っているので、お父さんの元に、母と祖母に一緒に行ってほしいなあって。子どもを見せたかったなあ」
庄子さんは2014年に結婚しました。
「私はたくさんの愛で支えられてきました。感謝の気持ちでいっぱいです。お父さんやお母さんのように一生懸命働いて、たくさんの愛あふれる明るく楽しい家庭を築いていきたいです」
2016年には長女の紬ちゃん、2018年には次女の陽真莉ちゃんが生まれました。
英美さんは夫の赴任先の神奈川県で生活し、2015年に三女の瑛真ちゃん、2020年には長男の祥吾ちゃんが生まれ、家族は6人に増えました。コロナ禍で会えない中でも、姉妹はほぼ毎日連絡を取り合いました。
英美さん「元気」庄子さん「元気だよ。もう1年くらい会えてないよね」
英美さん「1年以上会えてないよね」庄子さん「(緊急事態宣言が)早く解除になると良いね」
庄子さんは長男の櫂ちゃんを妊娠し家族は6人になりました。
小野寺庄子さん「お父さんとお母さんとおばあちゃん、3人一気に亡くなってすごく悲しかったんですけど、また3人戻ってきてくれたような感じがしてすごく不思議な感じがしてます」
震災から15年。2人は、2025年から隣り合うように構えた一軒家で協力し合って暮らしています。奪われた命と新たに生まれた希望。4月から中学2年生になる瑛那さんと咲瑛さんは2025年、英美さんの身長を超えました。学校で震災について学び、話すようになりました。
瑛那さん「家族が増えていって、母があまり寂しいなってことがなくなったのはうれしいと思います」
咲瑛さん「特に3月になると元気がなくなってるなと感じる時があったので」
瑛那さん「あまり食欲が無かったりとか」
咲瑛さん「泣いてるのとか聞いたり時々してたので」
瑛那さん「やっぱり今は少なくなった」
咲瑛さん「弟とか妹がお母さんが良い方になる糧になっているのはうれしいなって」
及川英美さん「おかえりと言ってくれる方々が、いらっしゃるんですね。そのおかえりがうれしいねと子どもたちが言ってくれて、そこからまた震災の前の時はおじいちゃんはどうだった、おばあちゃんがどうだったと。私に聞いてきたり色々なところで、記憶が子どもたちに広がったんだなと」
この日、7年ぶりに2人そろって自宅の跡地を訪れました。母親の唯一の形見、免許証が見つかった場所に花を手向けます。
及川英美さん「前よりは会いに来れると思う」
英美さんが神奈川県から戻ってきて間もない2025年5月、父親が亡くなる際に身に着けていた時計が止まりました。
及川英美さん「6時8分、9分にいつもアラームが鳴っていました」
小野寺庄子さん「時計だけじゃなくて、実はお母さんの前、植え替えたお花が1本も咲かなかったんです。お父さんの時計、お母さんのお花。何か不思議。支えられるものができたから安心したって捉えて良いのかね」
震災から15年、2人が今伝えたいメッセージは。
英美さん庄子さん「空にいるお父さん、海の中にいるお母さん、おばあちゃん。これからも応援していてください。みんなで帰りを待ってるからね」