東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市釜谷地区に再び人が集まるようにと桜を植え続けてきた男性が、2025年に亡くなりました。男性が亡くなっても、桜の下に仲間が集いました。

 オオヤマザクラが花をつけ始めた石巻市釜谷地区では、年に一度の桜の手入れが行われました。長野県の桜守や各地からのボランティアが、木の様子を1本1本確認しながら枝を整えていきます。
 大川小学校に通っていた孫2人を亡くした、阿部良助さんが植え続けてきた桜です。
 阿部良助さん「もう今では桜が孫みたいな存在。1本1本ね、亡くなった人たちと思って育てているつもりでいるんだけどね」

 震災で亡くなった人たちへの思いを込めて2011年夏から良助さんが植えた桜は、2016年には地区の犠牲者と同じ269本になりました。
 阿部良助さん「1本1本に269人の魂が乗り移れば良いなと思って、269本になったんだね」

 良助さんは数年前から肺を患い、闘病の末2025年に78歳で亡くなりました。
 妻・阿部文子さん「あそこがそのままになるのが嫌だったみたいでね。みんなが集まってくれれば、またいつかはにぎわいのある所になるのかなっていう思いはあったみたいですけどね。何かやっぱり桜の虜になっちゃったのかしらね」

 釜谷地区は、東日本大震災で6メートルを超える津波が襲いました。ふるさと釜谷を悲しいだけの場所にしたくないと、2011年11月に長野県で桜を育てる里野龍平さんと出会い、桜を植え始めます。
 里野龍平さん「彼はお孫さん2人女の子を亡くされて、孫の代わりに桜を育てたいという思いになられたんでしょうね」
 鹿の被害や津波で浸水した土壌など、桜を育てることは簡単ではありませんでした。
 阿部良助さん「こうなってくると駄目なんだ。斜めに切られた時、涙が出る思いだったね」

 阿部良助さん「花より団子ということで、皆さんに楽しんでいただきたいと思います」
 2017年に始めて花見を開催しました。
 阿部良助さん「本当に桜の植樹をやって良かったな。いっぱいに花が咲くようになれば、また大笑いして花見するような時期が来ると思うよ」
 良助さんが植樹した桜のうち特別な2本は、ひときわきれいな花を咲かす菜桜さんと舞さんの桜です。
 阿部良助さん「一番最初にきれいに咲いたからもう、これはうちの孫の桜だって」

 2026年も里野さんたちボランティアが、各地から駆け付けました。
 里野龍平さん「安定してますね。花の数も多くなった」
 しかし、桜の下に良助さんの姿はありません。
 ボランティア「寂しいな、いないと」「やっぱり良助さんがいないとちょっと寂しい感じがしますね」

 震災直後は釜谷に足が向かなかった良助さんですが、妻の文子さんによると桜を植え始めてからは変わっていったということです。
 妻・阿部文子さん「桜のシーズンだと毎日行ってたもんね。咲いてなくても行ってたからね。1人で運転できる時はいないなと思うと釜谷に行ってる」

 病気で体が思うように動かなくなってからも、文子さんを誘っては桜を見に行きました。
 妻・阿部文子さん「私の運転が早いっていう。桜の周りを徐行するんだけどそれでも早いって。窓からねずっと見てるの。車から降りれなくなった頃はね」

 桜の手入れも終盤になる頃、文子さんたちは近くの小屋で恒例の食事会の準備です。
 風が強く桜の下でとはなりませんでしたが、会場には笑顔にあふれました。
 ボランティア「これ良助さんが見たらね、桜の成長を見たら喜ぶだろうなと。一緒に喜び合いたかったなとは思いますね」「背中から見て学ぶことがすごく多かったなと思って」
 里野龍平さん「花がついているせん定した枝は捨てることがもったいないから、彼にプレゼントさせてもらった」
 妻・阿部文子さん「今だとまだちょっとね、桜咲いたから見に行こうっていうほどじゃないでしょ。だからいっぱい咲いて、みんなで本当に花見ができるような場所になればいいと思ってね。それを望んでたんですよね。お父さんもね。だからみんなが花見できる場所に早くなってほしいです」
 良助さんが亡くなっても桜は咲き、人が集まります。良助さんの願いは、これからも咲き続けます。