鉄塔を建て、電線を張る工事を担うラインマンと呼ばれる人たちです。私たちの暮らしに欠かせない電気をつなぐ送電線工事のスペシャリスト。新人ラインマンの研修に密着しました。

 4月20日。宮城県蔵王町に集まったのは、東京に本社を置き、東北地方を中心に送電線工事などを担うETSホールディングスの新入社員たちです。
 新人ラインマン吉村優生さん「ちょっと緊張して、少し寝れなかったっすけど」
 11人いる新入社員の一人、福島県会津若松市出身の吉村優生さん(18)です。ラインマンとして仙台市の事業部に配属されました。

 ラインマンの主な仕事は、鉄塔の建設や電線を張る工事です。鉄塔は高いもので100メートル以上あり、その作業には高い技術が求められます。

送電線工事のスペシャリスト

 研修では、実際に高さ30メートルの鉄塔に登ります。高所での作業に慣れるため、ボルダリング施設での訓練は行ってきましたが、鉄塔に登るのは全員初めてです。
 ロープの使い方を確認しながら、まずは3メートルほど登り高さに慣れていきます。
 新人ラインマン吉村優生さん「ちょっと怖いですけど少し、まだ大丈夫です」

 吉村さんがラインマンを目指すきっかけとなったのは、小学1年生の時に発生した東日本大震災。強く記憶に残ったのが、テレビで見た避難所の様子でした。
 新人ラインマン吉村優生さん「1週間くらい電気が無い状態で過ごしてるのを見て、本当に不自由じゃないですか電気無いと。それで電気がついた時のみんなの感動の顔だったりを見て、自分もそういうところに携われる仕事がしたいと思って」

 東日本大震災では、津波で鉄塔が流されるなどして、大規模な停電が発生。東北電力管内では約466万戸が停電しましたが、3日後には80%が解消しました。
 その裏には、いち早く設備の復旧に取り組んだラインマンの存在がありました。

 私たちの暮らしや産業を支える重要な仕事ですが、鉄塔に登り電線を張る工事ができるラインマンは、全国で約3200人とされていて、人材不足が課題となっています。
 送電線工事は、数週間から大規模なものだと1年もの期間を要するため、プライベートな時間を確保しにくいなどの理由から新入社員の早期退職も少なくありません。
 東北送電事業本部佐藤和彦次長「やはり厳しい世界かなと思います。まだ誰でもできる作業ではないので、やはり職人さんあっての作業になるのかなと思ってます」

研修で高さ30メートルの鉄塔へ

 研修2日目。
 東北送電事業本部伊藤政克さん「はい、そこから起きる。起きる時はひじ掛けなきゃ駄目」
 新人ラインマン吉村優生さん「めっちゃきついっす」
 東北送電事業本部伊藤政克さん「簡単にはいかないって」
 電線の上でバランスを取ったり、ぶら下がった状態から体勢を立て直したりする練習。慣れないうちは体中にあざができるそうで、吉村さんも痛みに耐えながら練習します。
 東北送電事業本部伊藤政克さん「頭で覚えられねえから体で覚えるしかねえから、それは何回も練習することによって体にたたき込む。挑戦してみて自分のものにしていく」

 いよいよ高さ30メートルの鉄塔の頂上を目指します。先輩社員からの指導を受けながら順調に登っていく吉村さん。
 新人ラインマン吉村優生さん先輩「良い景色。めっちゃきれい、気持ち良い」
 まだまだ余裕があります。

先輩の指導を受け

 30メートルの高さに到達したら、今度は足場を横に移動して、更にアームの先端を目指します。
 入社4年目吉野大輝さん「足をそうそう、がに股に開くような感じで。ゆっくりで良いよ」
 吉村さんたちが足を掛けている場所は幅20センチほど。
 入社4年目・吉野大輝さん「今度はここに掛けちゃうとここでつまっちゃうから、こっちに掛けても良い。そこでも良いね、こっちでも良いよ。掛けやすい所で良い、要は行く先々に予測して掛けていくような感じで。1回待機する?それともここ(先端)まで行く?どうする?」
 吉村「行きます!」先輩「行く?」吉村「行きたいです」先輩「お~」

 そして。
 「よ~し到着!」
 登り始めて約20分。無事に目的のポイントまで到着しました。
 新人ラインマン吉村優生さん「こっから伸びる電線に自分は行って作業するんですよね?めっちゃ怖い、めっちゃ怖いじゃん!」

 初登りを終えた吉村さん。
 新人ラインマン吉村優生さん「いや、とても高かったです。怖いが30%くらいで楽しいが70%くらいです」
 一人前になるには最低でも15年かかると言われるラインマン。その夢を目指して。

一人前には最低15年

 吉村さんは、ゴールデンウィーク明けから宮城県石巻市で送電線工事に携わる予定です。
 新人ラインマン吉村優生さん「(電気は)本当に欠かせないものだと自分も思っているので、自分も頑張って電気をつなげている一人として、自信を持ちながらやっていこうと思ってます」