神戸大空襲を生き抜いた96歳の女性。今も駄菓子店を営みながら、子どもたちに平和な世界が続くことを願っています。

 神戸市兵庫区。海沿いの住宅街に「レトロ」な駄菓子店があります。

「おばちゃん!これって何円?」 「おばちゃん!水風船ひとつ」

 「おばちゃん!」。そう呼ばれているのは、店主の中川艶子さん、96歳です。4畳半の店内は創業当時のまま、70年が経ちました。

 店には3歳から80代までの常連さんが訪れます。笑顔の奥には、伝えておきたい平和への思いがあります。

中川駄菓子店 中川艶子さん 「『B29』がカラスの大群のように飛んできた」

 太平洋戦争末期、軍需工場が多かった神戸は、5回にわたり、アメリカ軍による空襲を受けます。神戸大空襲です。

中川駄菓子店 中川艶子さん 「(焼夷弾が)バーっと花火のように落ちる、居るところがあれへんわ、そこら中に落ちる」

 中川さんが住む兵庫区が大きな被害を受けたのは、1945年3月17日の空襲でした。神戸市の記録では、5回の空襲で、合わせて7500人以上が犠牲になったといいます。

 中川さんは当時16歳。防空壕に逃げ込もうとした時のことを鮮明に覚えています。

中川駄菓子店 中川艶子さん 「飛行士が見えていた、こんなメガネをかけて、艦載機がきて『ババババン』と後ろから撃たれた時が怖かった。あの時は死んだと思った」

 「死」と隣り合わせの毎日。中川さんの青春は戦争に奪われました。

中川駄菓子店 中川艶子さん 「戦争のときみたいに火花がでたら怖いな、もし戦争があったら行くか?こんな(銃)を持って」

「いやや」

 20年近く店に通う男性は、子どもの頃から空襲の話を聞いてきました。

中川駄菓子店 中川艶子さん 「怖かった、防空壕とか入ってな」

子どものころから通う 関太一さん 「そういう話をみんなに広めていかないとアカン」

中川駄菓子店 中川艶子さん 「戦争をせんように、なんとかかんとか言いながら、無事にこのまま平和がずっと続いたらいいけど」

 “小さな常連さん”に同じ思いはさせたくない、おばちゃんは強く願っています。