東日本大震災による津波で妻を亡くした元消防士の男性が続けてきた交流会が、幕を閉じました。人と人とのつながりで得たことがありました。

 佐藤誠悦さん「今回で最後だと思うと気合が入りますね」
 宮城県気仙沼市の元消防士、佐藤誠悦さん(74)は11日、所有する水田で稲刈りカップと名付けた交流会を開催しました。震災後に佐藤さんを支え励まし続けてくれた、約150人が集まりました。
 参加者「誠悦さんは親じゃなくてお兄ちゃんみたいな人。毎年ここに来ることをすごく楽しみにしていて、地元の人たちに会えることもすごく楽しみにしていた」

 所有する水田は佐藤さんにとって、津波で亡くなった妻の厚子さんと農作業した思い出の場所です。
 佐藤誠悦さん「今伝えるとすればね。みんなね。元気で明るく。元気に強く生きているよと」

 佐藤さんが厚子さんと出会ったのは20歳の時で、一目ぼれだったということです。
 佐藤誠悦さん「優しい笑顔でみんなに接してね。家族みんなが明るくなるような感じの女房でしたね」

 2人の子どもに恵まれ暖かな家庭を築いていた佐藤さんでしたが、東日本大震災が発生します。気仙沼消防署の指揮隊長として夜通し消火に当たり、翌朝に引き上げて来ると悲しい知らせが待っていました。高齢者施設で働いていた厚子さんが、行方不明になっていました。遺体は、数日後に近くの海岸で見つかりました。
 佐藤誠悦さん「何度も何度も号泣しながら、語り掛けてもね。何をしてもね。生き返ってこない」

 深い悲しみから抜け出せなかった佐藤さんの転機は、震災から2年後の2013年に始めた語り部でした。
 佐藤誠悦さん「人を助けるためにとことん訓練を受けた人間です。でも、その人間が大切な人を助けることができなかった。女房のことを語って震災のことを語るっていうことは、自分のものを出すということは、自分自身が癒やされるということを知りましたね」

 震災後も苦難が続きました。2023年に次男の隼さんを白血病で亡くしました。明るく優しい性格だった隼さんは、佐藤さんが語り部をやめようと思った時に続けるように言ってくれました。
 佐藤誠悦さん「お母さんのことを語るのは、お父さんの使命だと言われた。あれは効きましたね。分かった。命ある限り語り伝えていくからなと」

 更に2025年5月には、佐藤さんにがんが見つかります。腫瘍は悪性で、拳ほどの大きさでした。抗がん剤治療を耐え抜き奇跡的に腫瘍は消えましたが、一時は死を覚悟しました。多くの苦しみを乗り越えていく中で、佐藤さんは人生観が大きく変わったと話します。

 震災前は寡黙で他の人との交流も少なかった佐藤さんは、語り部を続けていく中で多くの人との出会いがあり、人の輪が自分を支えてくれていることに気付きました。
 佐藤誠悦さん「人が人をつなぐ。人が人を助けるということが分かりました、この15年間で。自分は1人ではないということを知りましたね」

 稲刈りカップは、人とのつなりを大切にしようと続けてきたイベントの1つです。厚子さんが好きだったバレーボールをみんなで楽しみます。体力面のこともあり、今回で幕を下ろすことを決めた稲刈りカップで佐藤さんは、参加した人たちに感謝の思いを伝えました。
 佐藤誠悦さん「これまでの皆さんとのつながり。人が人をつなぐ。人が人を助けるということをね。この15年で学んだ。これを機に、これからの人生を新たな光に向かって歩んでいきたい」

 翌日に佐藤さんは稲刈りカップの参加者と共に、厚子さんの遺体が見つかった海岸を訪れました。厚子さんが大好きだった白いトルコキキョウの花を供えます。15年間、機会がある度に海岸を訪れてきた佐藤さんは、厚子さんに交流会を報告しました。
 佐藤誠悦さん「稲刈りカップ最終回ということでね。15年活動してきた。これを卒業するからねって報告したら今ね。ご苦労様でしたねって言われたのでもう感無量ですね。つらいことがあっても、生きるの大切さを教えてくれたことがやはり人であるということ。人が人を助けるということをね学びました。ありがたいことだと思います」