作家の村上龍さんが亡くなりました。74歳でした。『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』『ラブ&ポップ』。1970年代から、変容していく社会の傍らで、時代に翻弄されながら生きる人間を描いてきました。

■変容する社会へ向けた眼差し

村上龍さん(当時52) 「それぞれの立場の人たちで、国益に対する自分の利益と、国益との結びつきが違うってことですよね。アメリカでイラクに駐屯する部隊は、ほとんど貧しい人であるとか、移民の1世2世とか多くて。自分にも利益があると考えるのは、お人よし過ぎると思う」

村上龍さんの論評は聴く人、読む人を揺さぶります。

村上龍さん(当時48) 「学校に行っていないとか、リストラされたおじさんの場合には会社に行っていないとか、そういう人をどこかレールから外れた人みたいに見る風潮はまだありますよね。僕は大事だなと思うのは、皆一緒じゃなくても良いってこと。だって僕なんか小学校からずっと『お前みたいなのがいるからクラスの和が乱れる』とか言われて。今日本は多様化の時代を迎えて、ざまあ見ろって思います。どっちが正しかったのかって」

■“退廃と自由”在学中に芥川賞

18歳まで過ごした佐世保には、米軍がベトナム戦争に向かう補給拠点がありました。高校時代、屋上をバリケード封鎖した経験を描いた小説があります。上京して福生で暮らし、武蔵野美術大学に進学しました。在学中に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞。「若者の退廃的世界観」と評されましたが、虚無感を抱える読者に寄り添いました。

テレビにも発信の舞台を広げた村上龍さん。

村上龍さん(当時25) 「僕は最初にこういう絵もあるんだな、こういう絵を描いてもいいんだなというのがあって。その自由さというものが僕の頭に入ってきて。その自由さと幻想性を凝縮する能力みたいなことを発見したのがあって、それが今でも続いている」

共感を寄せたシュールレアリスム(超現実主義)。村上龍さんの作品に最初に触れた時、生々しい行動表現に戸惑うこともあります。リアルな言葉は、翻弄され生きる人間への優しさでもありました。

同じ時代、共に文化を育てた仲間たちとも。

ニューヨークにある音楽家、坂本龍一さんの自宅でのトークです。

村上龍さん(当時41) 「びっくりしたのは、キューバ音楽はプリミティブな印象を持っていて。ジャズっぽいのをやってと言われると、パッとやってくれる気がして。でもパッとやらないんだよ」

坂本龍一さん(当時41) 「ジャズミュージシャンはすぐやるよね。なぜできるかというと、レファレンスでお手本がいっぱいある」

■問い続けた社会の“ひずみ”

社会問題を自ら取材し、問いかけました。

村上龍さん(当時45) 「女子高校生の援助交際は、今の日本のひな型というか、ミニチュア版。結局、お金とブランド品しか生きる価値がないということを、日々大人たちがアナウンスしている。(高度成長で)国家的な目標がなくなり生まれた子ども。価値観を探せない」

今に遺した、作家、村上龍さんの言葉です。

村上龍さん(当時53) 「経済力が衰えた国というのは、大体、国際的影響力も落ちる」

村上龍さん(当時58) 「多様化しちゃったんです、格差を伴って。今後日本がどうなるにしても、全員がハッピーになることはあり得ない」 「教育はもともと何なのか。子どもを一人で生きていける大人にすることだと思う。とにかく生き残ることが大事」