世界が注目するトップアスリートです。宮城県を拠点に活動するスノーボーダー荻原大翔選手は、世界トップクラスの選手たちが集う国際大会で世界初の大技を決め初優勝しました。
村田町にあるスキー・スノーボードのジャンプを楽しめる施設、東北クエストを拠点に世界の頂点を目指しているのが茨城県出身の荻原大翔選手(19)です。
ナショナルチーム指定のトレーニング施設がある村田町に住みながら、1年間の3分の1以上は海外に遠征し腕を磨いています。
荻原選手は、2025年1月に世界トップクラスの選手たちが集う国際大会のスノーボード男子ビッグエアに初出場しました。
4位で進んだ決勝で荻原選手は、当日の練習で右手首を骨折しながらも、空中で6回転半する2340(トゥエンティ―スリーフォーティー)を世界で初めて成功させ初優勝し、世界に衝撃を与えました。
荻原大翔選手「技を決めて着地するじゃないですか。前を見たらもうすごく観客がいっぱいいるんですよ。みんな『うおー』ってなっているから、あれは最高でしたね。気持ち良かった。やってやったぞみたいな感じでしたね」
スノーボードを始めたきっかけは、父親の崇之さんです。趣味のスノーボードを将来、一緒に滑りたいという思いから、大翔選手を3歳からスキー場に連れて行くようになります。
大翔選手は5歳から本格的にスノーボードを始めると、9歳の時に世界最年少で3回転のジャンプを成功させます。
持ち味の回転力を武器に2022年には全日本選手権、ワールドルーキーファイナルを連覇し、4月のスイスでのイベントでは、世界で初めて6回転のジャンプを成功させ注目を集めました。
荻原大翔選手「大会に出るとなったら勝ちたいじゃないですか。それを重ねていって、世界最年少で3回転ってすごいのかなと思って、その時からオリンピックとかをイメージし始めたんですかね」
千葉県の高校に進学すると、練習拠点を宮城県に移します。
父親の崇之さんは週末、東北クエストまで6時間かけて荻原選手を送迎でサポートし、現在も休日は村田町に通っています。
荻原崇之さん「自分も元々好きだから子どものためにかもしれないけど、全然苦じゃないですね。本人は今までずっとこれが俺の限界だって言いながらいつも更新していくので、このままずっと楽しんでやっていけたらいいなと思いますね」
物心がつく前から当たり前の存在だったスノーボードで未知の扉を開き続けてきた荻原選手は、2026年2月のミラノ・コルティナオリンピックで金メダルを目指します。
荻原大翔選手「限界を決めたら止まっちゃうじゃないですか。だから限界は考えないようにしていて、ここまで色々挑戦してるなら次はもちろん7回転したいですし、誰も追い着けないくらいまで行きたいですね」
6回転以上の練習が可能な施設は、世界でもほとんどありません。東北クエストは、荻原選手のために6回転の練習にも対応できるよう施設を改修したということです。
荻原選手の世界ランクは現在4位で、上位11人中6人が日本人のため最大4人の日本代表枠争いは非常に熾烈です。