東日本大震災の記憶を伝えようと、せんだいメディアテークで市民が復旧復興の歩みを発信し続けています。市民に寄り添いながら、職員がサポートしています。
せんだいメディアテークの一角に、市民が集めた震災の記録を展示するスペースがあります。3がつ11にちをわすれないためにセンター、わすれンです。
せんだいメディアテーク北野央さん「震災の記録の大小や意義、価値にかかわらず市民の方が残したい、残すべきだと思われた写真や映像、文章などを残す」
橋本武美さん「時間が経って、あの頃の事をもっと声を残しておいた方がいいんじゃないかなと。が無かったら活動できていないですね」
市民自らが伝える震災の記憶は、さまざまな視点から語られる教訓です。
せんだいメディアテークの職員、北野央さんは3がつ11にちをわすれないためにセンター、わすれン!の立ち上げから運営に携わってきました。
資料室には、市民が集めた震災をテーマにした展示が並んでいます。専門家が作る公的なアーカイブとは性質が異なります。
せんだいメディアテーク北野央さん「せんだいメディアテークは生涯学習施設でもあるので、震災を記録したり伝えたりすること自体が人々の学びになるのではないか。学びとなる記録作りを職員や施設でサポートしていくところが大きく違います」
主体はあくまでも市民で、伝えたい市民が文字や映像、音声などそれぞれの方法で思い思いに記録を残しています。資料室の特徴は、来場者にも加わってもらう参加型の展示です。
震災の記憶を友人などと話しながら気軽に音声データとして残せる録音小屋や、震災当時の写真の展示には、来場者の体験や思いをふせんに書いて貼り付けてもらっています。
せんだいメディアテーク北野央さん「写真では伝えきれないことを、来場していただいた方の思い出のエピソードでふせんに書いていただくことで、ふせん同士の会話が盛り上がっていくと写真以上のことが伝えられるので」
わすれン!は、2011年5月の開設から参加者が100人を超えています。中には自らの体験を教訓につなげようと最近になって活動を始めた人もいます。
自閉症の子どもを持つ仙台市に住む橋本武美さんは、感覚過敏で人混みや騒音の中でいることが難しい息子のために、震災当時は避難所に行くことをあきらめました。
この経験から障害を持つ子どもとの避難生活で困ったことを、同じ境遇の家族などにインタビューして冊子にまとめる活動を2年前に始めました。
橋本武美さん「時間が経って、あの頃のことをもっと声として残しておいた方がいいのではないかなと。わすれン!に協力していただいて活動を始めました」
これまでに話を聞いた人は、自閉症のほか重度の知的障害を持つ子どもの親など15人で自分と似た悩みもあれば、障害の特性によって異なる悩みもありました。発信することで必要な支援が何か、理解が広がるきっかけになればと話します。
橋本武美さん「見ていただいた方の心に残るような、小さな助けが1つずつつながれば色々な人たち困った方たちの助けになるんじゃないかと、なっていきたいと思います」
震災から14年が経過し当時を知らない世代が増える中、北野さんが大切にしていることは、震災を子どもの時に経験した世代に関わってもらうことです。
せんだいメディアテーク北野央さん「震災を子どもの時に体験した人たちが、大人で体験した人と知らない世代をつないでくれる大切な立場や視点を持っているんじゃないかと」
北野さんは、この春に新たな試みを始めました。東日本大震災とコロナ禍の街の風景を比較する展示です。わすれン!の参加者から寄せられた2011年と2020年の写真について、似ている部分や異なる部分はあるか気づいたことをふせんに書いてもらう参加型の展示です。
せんだいメディアテーク北野央さん「コロナ禍の方が子どもたちにとって鮮明に覚えているんじゃないかと。土台を作った上で、東日本大震災の記録を同時に見てもらって何か考えてもらったり、自分で語るきっかけになればなと」
多くのコメントが寄せられたのが、コロナ禍の黙食を促すポスターの写真です。当時の小中学生を中心に、友達と一緒に昼食を食べられなかった記憶など多くのコメントが寄せられました。
来場者「ふせんで私も書きたくなるような市民の人の声を拾う、共感できるシステムだなと」「同じ感想だなとか、こんな見方もあるんだって勉強になりました」
震災の記憶を忘れずに次の世代へ伝えるために、わすれン!は、今後も市民の手で記録をつなぎ続けます。
せんだいメディアテーク北野央さん「残していきたい記録、もしくは声がある方がいらしゃったら3がつ11にちをわすれないためにセンターに参加していただいて、その記録の後ろ支えをしたいと思っています。より多くの人に知ってもらい、記録に関わっていただくような仕掛けを考えていければいいなと思っています」