宮城県石巻市北上町に伝わる十三浜甚句を歌い継ぐ人は、現在わずかに1人です。愛する地区を唄った甚句を、後世に伝えようとしている人たちがいます。
北上川河口の13の漁村が集まってできた石巻市北上町十三浜地区に、古くから伝わる民謡があります。十三浜甚句です。
千葉賢子さん(71)は十三浜甚句を保存しようという会が38年前に発足した時からのメンバーで、祭りなどの場で甚句の踊りを披露してきました。現在も週に一度メンバーと共に練習を欠かしません。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「どの民謡もそうですけど、作業唄なので。網を投げるところとか網を引くところとか。十三浜甚句はうるさい唄ではない。のどかな歌なのね」
十三浜甚句は、浜の生活の中から生まれ浜の生活と共にあったと言います。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「結婚式とかお祭りとか、さなぶり(田植え祝い)とか(各浜に)誰かのど自慢の人がいてね。十三浜の人たちってカラオケが無い前の手叩きで宴会をやる時に必ず出たのが十三浜甚句」
十三浜で漁師をしている遠藤末松さん(79)は、十三浜甚句の唄い手です。千葉賢子さんと共に、長い間十三甚句を支える活動をしてきました。
遠藤末松さん「ぐるっとね。頼まれて歩いたの。新築お祝いに必ずみんな引っ張られたの。それくらいはやったの昔は」
歌い継がれてきた十三浜甚句ですが唄い手は徐々に減り、現在は遠藤末松さんただ1人となってしまいました。
遠藤末松さんの母親・遠藤トメヨさん(102)「Q.トメヨさんが末松さんに十三浜甚句を教えました、今覚えてますか歌詞」「A.今分からない。唄も踊りも忘れた。十三浜甚句の唄もおじいさん(末松さん)しか知らない。誰も知らない。誰もあと口ずさむ人いないもんね。私だけで終わりになってしまうのでは」
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「どうしても思い出すっていうかね。月浜って北上町の中心地。今は違いますけど震災前は」
2011年3月11日。東日本大震災が、十三浜の姿を一変させてしまいました。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「中心地で役場があったり公民館があったり、商工会とか飯野川高校の分校があったりしてね。一番中心の所だったので今は残念ですけどね」
千葉賢子さんも自宅が流され、親戚が亡くなりました。保存会の会員も1人が亡くなり、甚句で使用する衣装や楽器などが全て失われました。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「何か複雑でしたね。前の思い出もある。今は何も無い。このままじゃだめだなと思って。ただ自分の第一歩みたいな感じで3人でそれから始まりましたね」
それでも千葉賢子さんは保存会を復活させ、活動を再開しました。11月、千葉賢子さんは十三浜の人々の心をもう一度1つにするためには甚句が欠かせないと考え、地域の人たちを招いての披露会を企画しました。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「今まで忘れていたものを思い出してもらいたい。十三浜甚句は十三浜の人だったら知っているので、改めて思い出してもらいたい」
唄い手は、もちろん遠藤末松さんです。震災後、保存会の活動から遠ざかっていた遠藤末松さんにとっては、約15年ぶりとなる人前での舞台です。
十三浜甚句保存会千葉賢子さん「頑張ってやろうっていうことが、一番のきっかけですね。みんなで集まってにこにこして、口を大きく開けてしゃべって笑って。それが一番。こっちの自然に合うんじゃないでしょうかね。この辺の人たちは楽しい人たちなので」