東日本大震災の発生から3月11日で15年です。宮城県各地では犠牲になった人を悼み、早朝から鎮魂の祈りに包まれました。
◆仙台・若林区荒浜 ◆東松島・野蒜 ◆南三陸・旧防災対策庁舎 ◆石巻・日和山
◆名取・閖上
妻と娘を亡くす「市役所に勤めていて災害関係の部署にいて、自分の家族を守れなかった。本当に助けられなくてごめんな」
知人を亡くした人「4人くらい親しい人を亡くしてるんです。その分、何とか長生きして頑張んないとなと思っています」
同級生を亡くす「朝の海がびっくりするくらい静かで妙に物悲しい。復興が進んで穏やかになったことを表しているのかな」
東日本大震災から15年。それぞれが思いを抱えて、3月11日を迎えました。
石巻市の旧大川小学校は児童と教職員計84人が犠牲となり、現在は震災遺構として保存されています。
遺族「生活環境はどんどん変わってきてますし、ただ息子がいなくなった3月11日にいなくなったっていうことだけは、何年経っても変わらないんだなと」
職員43人が犠牲となった南三陸町の旧防災対策庁舎で、元町長の佐藤仁さんは津波に巻き込まれました。
佐藤仁元町長「きょうは本当に1日、心の中で手を合わせる日です。今、生きている我々の役割ですよね。風化しないようにしていくことは」
住民の避難誘導中に犠牲になっ警察官、千田浩二さんを弔いつくられた気仙沼市大谷小学校近くのお地蔵さんです。
小学生「(亡くなった)警察さまにお手紙を書きました。地震津波起きないでと書きました。警察さんに感謝を込めて手を合わせたいと思います」
地蔵を建てた鈴木治雄さんと美和子さん「これからもずっとお地蔵さまここにこうやって建っている限り、防災の語り部をしてくれると思っております」
気仙沼市杉ノ下地区で震災直後、がれきに覆われた街に掲げられた希望のこいのぼり、15年ぶりにはためきました。
JR女川駅前に毎年掲げられる黄色いハンカチに記されたメッセージは、復興を願う言葉から未来への希望を願う言葉へと変化しています。
午後2時46分、各地で黙とうが捧げられました。