宮城県気仙沼市にある創業68年の銭湯は、利用者の減少や燃料費の高騰に苦しむ一方で東日本大震災後に移住してきた人たちなどによる、新たな人の輪に支えられてきました。

 銭湯を舞台にした歌「銭湯ろまん」の舞台になった気仙沼市の銭湯、1958年創業の友の湯は港町の住宅地に残る昔ながらの銭湯です。常連客をはじめ漁を終えた船員や、うわさを聞いて県外から訪れる人たちなど、ひと時の休息を求めて人々が集います。
 漁船員「実家に帰ってきたみたいな」
 住民「家にはもちろんお風呂ありますけど、ここでしか味わえない癒やしの場です」
 小野寺学さん「毎日のように色々な所から来ますね。そういう方との出会いとか、話とかね。楽しいですからね」

 東京都で不動産会社などに勤めていた小野寺学さんが、東日本大震災をきっかけに両親が始めた銭湯を継ぎました。
 小野寺学さん「やらなくちゃいけないっていう状況。半ば使命感みたいなところもあったんですよね。ですから私の娘とか姪とか、いとこにもずいぶん手伝ってもらってましたね」

 かろうじて津波から免れた建物で震災の2週間後から営業を再開し、被災者や全国から駆けつけたボランティアが湯につかって疲れを癒やしました。
 小野寺学さん「めちゃくちゃでしたよ。ろ過もうまくできなくて濁ってたりね。すごかったですよ、あの時はね。やってて助かったとかね。そういうことは随分言われましたよね。それが少し励みになりましたけどね」

 銭湯は、利用客の減少に加え風呂を沸かす燃料となる重油の高騰と厳しい現実に直面しています。料金は、戦後の物価統制令に基づき宮城県が上限額を定めていて、自由に値上げすることができません。約40年前には宮城県に70軒あったという銭湯は、今は4軒を残すのみです。
 小野寺学さん「大体30人入って原価だね。平日1日だいたい1万5000円ぐらいかかるから。やっぱり当時は20人で大丈夫だったんだね」

 10年以上前から友の湯に通う建築士の吉川晃司さん(40)は、転勤と結婚を機に東京都から気仙沼市に移り住みました。
 吉川晃司さん「学さんがもう何でもやってよっていう姿勢だったので、それでこっちも自由に考えられたというか」

 吉川さんは、友の湯をもっと人が集まる場所にできないかと仲間たちと待合室の改装を思い立ちました。
 吉川晃司さん「もっと広ければ色々な人が集まれる場所になるねみたいな話を仲間たちとしてて、脱衣所を少し狭めて待合室を広げましょうって話をして」
 小野寺学さん「銭湯を日常にっていうキャッチフレーズでしたね、確かあの時。うまいこと言うなと思ったけどね」

 銭湯を人が集まる場所へと更に仲間たちは、11月26日いい風呂の日に合わせたイベントの開催を提案しました。音楽ライブにワークショップ、友の湯を舞台にしたイベントは2025年に8回目を迎えました。

 中心メンバーの1人、仙台市出身の織笠有加里さんは大学時代から気仙沼市に通い移住しました。
 織笠有加里さん「イベントで出会った人がつながり合っていったらもっと住み良い街に、私たち自身が街のことを好きになるんじゃないか、面白いんじゃないかっていうことでスタートしていった経緯ですね」

 友の湯をきっかけに出会った人たちの輪は、少しずつ広がっていきました。
 織笠有加里さんそういう人たちがつながっていって、来年ちょっと何かやったらみたいな感じで人の輪がどんどんつながっていくっていう風景をこの8回で見れられてとてもうれしいなとは思います」

 人が集まり人が出会い、また新しい人を呼ぶ。仲間たちの友の湯への思いが「銭湯ろまん」の歌に込められています。友の湯の日常を描いた歌です。

 小野寺学さん「元気出るよね。教えてもらうことが多いですよ、本当に。引き続きよろしくお願いしますということですかね、月並みですけど。薄利多売なんでね、本当いっぱい来てもらわないとちょっと大変ですから、お願いしますって感じですよね」

 震災から15年が経過し、人が集まり人が出会い、また人を呼ぶ。人の輪が友の湯を支えています。