12年前の3月11日、宮城県岩沼市にある第二管区海上保安本部の仙台航空基地は、津波でヘリコプターや機材が流される被害を受けました。そうした状況の中で行われた救助や捜索活動。当時、何が起きていたのか。映像や証言で振り返ります。映像には、津波の記録が含まれています。強いストレスを感じたり、体調が悪くなったりした方は視聴をお控えください。

 提供映像巡視船まつしま「しっかり自分を保持しろ」「つかまれ、つかまれ」「10メートルだな」
 2011年3月11日午後3時49分。宮城海上保安部の巡視船まつしまは、福島県相馬市の沖合約5キロの海上で津波と対峙しました。

10メートル以上の大津波

 提供映像巡視船まつしま「第2弾来るからな」
 巡視船が乗り越えた10メートル以上の巨大津波。約5分後、沿岸部に襲いかかりました。

 岩沼市にある第二管区海上保安本部の仙台航空基地で、ヘリコプターの整備をしていた藤田是也整備士(50)。救助や捜索に当たるため、準備を進めていたさなか、ある光景を目にします。
 藤田是也整備士「ちょうど松林がまばらに見えている所に貞山堀がありまして、当時はもう少し松林が生い茂っていたんですけど。ちょうど林の上に水しぶきが、わーっと沸くような感じでしぶき以外は黒かった覚えが」

 海岸線と仙台航空基地の距離は約2キロ。基地にいた約30人は、屋上へ急ぎました。避難が完了した数分後。
 仙台航空基地の津波の映像「仙台基地、今、津波に襲われています。空港はもう使えません。869(航空機)は、もう津波にのまれます。空港の駐車場の車両が、全部滑走路の方に流れてきてヘリも全部流れています」

 藤田是也整備士「これからの復旧は大変だなと思いましたね。どれくらい時間かかるんだろうって。我々、救助する組織で働いているのに、一瞬で逆に被災者になってしまった。悔しいのが残っています」

救助や捜索に当たる

 仙台航空基地は、航空機2機とヘリコプター2機を失い、建物にも大きな被害を受け基地機能を失いました。こうした状況の中でも、住民の救助や行方不明者の捜索活動に当たった隊員たち。

 巡視船くりこまの潜水士だった菅原久克さん。震災の3カ月前に潜水士の資格を取ったばかりでした。大きな災害での活動は初めて。
 潜水士菅原久克さん「不安は当然あったんですけど、潜水業務は自分たちしかできない業務だと思っていたので、責任感というかやらないといけないという思いが強かったですね」

 水の中は、車や家など多くのがれきにあふれ、視界が悪い場所も。終わりの見えない捜索。それでも潜り続けました。
 菅原久克潜水士「見つかってよかったという気持ちもある中で、やっぱりつらいなという自分の中で気持ちが、うまく整理できないこともあったが、関係者や家族の話を聞いて、戻してくれてありがとうと言っていただけることもあって。
一人でも多くの人を家族の元に返したい、という思いが一番強かったと思いますね」

 潜水捜索で、2012年までに53人の遺体が見つかりました。これまでの潜水捜索は1300回以上。
 実は、津波が来る前に仙台航空基地を飛び立つことができたヘリコプターがありました。地震から30分後に、状況調査のために飛び立った辻徳雄さん(59)。
 辻徳雄さん「当初の想定としては、状況調査して基地に戻って、燃料補給してまた次の救助にと思っていたんですけど、基地に帰れなくなるので」

仙台航空基地を飛び立つ

 着陸する場所を失ったヘリコプター。燃料が持つのは最大で3時間程度。機長だった辻さんは決断を迫られました。
 辻徳雄さん「このヘリをもう一度救助のために飛ばせるよう、最優先に考えていた」
 辻さんは約2時間後、福島空港に着陸し燃料を補給。その後も、約11時間フライトを続け、被害状況の調査や救助活動を行いました。

 海上保安庁では、地震発生から10日間で、延べヘリコプターや航空機3628機、巡視船1万1634隻、潜水士など約2500人を動員。360人を救助しました。
 辻徳雄さん「その時にいろいろ判断して行動できたというのもそれまでの積み重ねだなという感じはします」

 2023年に定年を迎える辻さん。今、海上保安学校の教官として、当時を知らない隊員に自らの経験を伝えています。
 辻徳雄さん「私にできることは経験を伝えるということだろうなと思いますので、当時どのようなことを考えながら行動していた。機長になったら、場合によっては一人でしか判断できない状況になるよと教えている。まさに想定外と言われた(災害)。その想定外に備えないといけないというのが大きいんじゃないでしょうかね」

 仙台航空基地では、津波に対応できるよう格納庫をかさ上げしました。震災後に入庁した海上保安官は、全職員の3割になりました。当時を知らない職員が増えていて、伝承が課題となっています。