14日、大阪・関西万博の会場で宮城県気仙沼市の郷土芸能、浪板虎舞が披露されました。浪板虎舞は、1970年の大阪万博でも披露されました。2度目の万博に臨んだ80歳の男性です。

 舞台袖で本番を静かに見守っていたのは、2度目の万博参加となった小野寺優一さん(80)です。
 小野寺優一さん「やっぱり夢をもう一度見たいなという感じで、あの時いただいた声援とみんなの喜びの笑顔を更に大きく膨らませて、みんなに見てもらって喜んでもらう」
 55年ぶりの大舞台に込めるのは、震災で受けた支援への感謝と、浪板虎舞を受け継ぐ次の世代への願いです。

 5月末、気仙沼市浪板地区の公民館では地区の住民訳30人が、大阪・関西万博での浪板虎舞披露に向けて練習に励んでいました。
 鋭い視線で練習を見つめているのは、浪板虎舞保存会の顧問小野寺優一さんです。浪板虎舞は江戸時代から伝わる郷土芸能で「虎は千里行って千里帰る」といういわれにちなんで、港町気仙沼の漁の安全や大漁を祈って地区の神社へ奉納されたり、祝い事の席で披露されたりしてきました。

大阪・関西万博に向けて練習

 浪板虎舞が万博に参加するのは1970年以来、2度目です。優一さんは当時、虎を先導する花形、虎バカシとして舞を披露しました。
 小野寺優一さん「(外国人から)『オーワンダフルタイガーダンス』と言われまして。日本、世界の人たちに浪板虎舞を見ていただいてもう誇らしげに思いましたよね」

 太鼓と笛の音に合わせ勇壮に舞う虎の姿に引き寄せられ、演技が始まると同時に、会場は多くの人で埋め尽くされたそうです。
 小野寺優一さん「やっぱり夢をもう一度見たいなという感じで、あの時いただいた声援とみんなの喜びの笑顔を更に大きく膨らませてみんなに見てもらって喜んでもらう」

 2度目の万博の舞台で、優一さんには世界に発信したい思いがありました。東日本大震災で受けた支援への感謝です。
 気仙沼湾に面する浪板地区は、津波とその後の火災で20人余りが犠牲となり、優一さんも自宅が津波で流されました。

復興支援への感謝を

 多くの物が失われた中で、かろうじて無事だったのが波板虎舞の道具です。優一さんたちは震災の2カ月後には復興への願いを込めて波板虎舞を披露しました。以来、住民の心を支えるため、そして復興支援への感謝を示すため波板虎舞を続けてきました。
 小野寺優一さん「色々な方々に虎の心配をいただき、地域住民が被災に遭ったのに対してみんなに応援をもらいました。ありがとうございましたという思いを込めて、やはり虎舞を演じたいと思っております」

 波板虎舞の一番の見せどころは、虎バカシに導かれ3人の踊り手が操る虎が高さ5メートルのはしごに上り見えを切る場面です。優一さんの指導にも熱が入ります。
 今回参加するのは地区の住民約30人で、若い世代につなごうと小学生や中学生を含め幅広い年代から選抜しました。
 中学1年生「小学校の授業で浪板虎舞の歴史を学んで、300年の歴史があることを全世界の人に知ってもらえると良いと思います」

 いよいよ本番当日、早朝に気仙沼市を出発し、バスと飛行機で大阪へ向かいます。
 小野寺優一さん「みんな無事演舞ができますように。そして虎舞がうまくいきますように」「大阪ではとにかく粋の良いところ見せて、浪板虎舞ここにありという意気込みで頑張ってきたいと思います」

 この日、万博会場の大阪・夢洲はあいにくの雨でしたが、波板虎舞を一目見ようと会場には多くの人が詰め掛けました。
 お囃子は、まるで1つの太鼓のように息の合った音色を響かせます。優一さんが舞台袖から見守る中、演舞は最大の見せ場である高さ5メートルのはしごの上での舞いです。躍動感ある舞いを見事披露しました。
 来場者「皆さんの頑張りが届きすごく感動した」「若い子らが引き継いで続けていってほしいですね、無くさずに」

55年ぶりの万博

 2度目の万博参加が終わりました。波板虎舞は今後も、地域の心のより所として受け継がれていきます。
 小野寺優一さん「気仙沼地域起こしを虎舞で盛り上げていきたいなと。かなり震災で疲弊していましたから、それをカバーしながら皆で元気出していこうという掛け声にさせたい」