かつて仙台城にあった大手門の復元プロジェクトが進められていて、間もなく基本構想が固まります。仙台城の大手門について、城郭考古学第一人者の名古屋市立大学千田嘉博教授に聞きました。全国の自治体が手がける史跡復元の有識者会議に招かれ、お城博士として知られています。
 千田嘉博教授「全国にあった江戸時代のお城の中でも、仙台城の大手門というのは最大級と言っていい櫓門ですね。門の上に櫓が乗っているという形で非常に守りが固い門の形式でして、歴史的価値はそういった意味でも極めて高いと言えると思います」

 仙台城大手門ですが、残念ながら現在は失われています。
 仙台市教育委員会文化財課塩川和主査「大手門は1945年7月に仙台空襲で焼失してしまって、脇櫓も一緒に焼失しています。脇櫓の方は1967年に再建されて立っておるんですけれども、大手門はまだ復元されない状態で今に至るということです」

 戦前、脇櫓とともに国宝に指定されていた大手門について、仙台市教育委員会は伊達政宗の没後400年となる2036年度に復元させる計画で、3月中に基本構想を策定する方針です。本格的な工事が始まるのは2032年度の予定です。
 仙台市教育委員会文化財課塩川和主査「仙台の街への誇りや愛着を改めて感じていただけるように、その対象として大手門があればいいなと考えております」
 千田嘉博教授「仙台城は山の上だけではなくふもとまで広大なお城になっていて、ここからいよいよ仙台城に入るという、本来の仙台城の規模やすごさを実感していただける門になるんじゃないかと思います。大手門は言わばお城の顔だったんですよね。別の言い方をしたら街の顔と言ってもいいかも知れないですね」

 城の正門に当たる大手門は戦国時代は防衛施設として機能しましたが、江戸時代になると天守に代わって権力の象徴としての役割を増していったということです。
 千田嘉博教授「天守がお城のシンボルになっていたんですが、どうしても落雷であったり自然の災害や火災などで多くのお城の天守は失われていってしまいました。その中で門というのは単なるシンボルではなくてここから城内ですよ、ここからお城の外ですよということで実用の機能を持っていた建築でしたから、門が壊れたら無しにするということはできなかったんですね」

 とりわけ大手門は参勤交代の大名行列が出発や帰参する藩の権力を象徴する場所となったほか、周囲には当時の役所が立ち並び街の顔としての役割も果たしたといいます。
 仙台城には築城当初から天守がなかったことが知られています。伊達政宗があえて天守を築かないことで徳川幕府に背く意思が無いことを示す狙いだったと言われています。
 名古屋市立大学千田嘉博教授「天守の無いお城ということになりましたので、実質的には巨大な大手門が仙台城を象徴する建物ということで長く意識されていた、江戸時代にも仙台の人々はそういう思いで見ていたと思います。伊達政宗の騎馬像が何となく仙台城、仙台の街のイメージになっていましたけども大手門ができあがりますと市民の方にとっては誇りを持っていただける、そういった建物になるんじゃないかと思います」