東日本大震災で宮城県石巻市の大川小学校に通う娘を亡くした男性が、校舎の保存や風化の防止、そして未来に思いをつなぐために歩み続けた震災15年です。
2月に仙台市青葉区で開催されたシンポジウムのテーマは石巻市の震災遺構、大川小学校の校舎保存についてです。有識者らとともに大川小学校で娘を亡くした紫桃隆洋さんが登壇しました。
紫桃隆洋さん「赤いレンガが落ちてしまったり屋根が剥がれたり防水部分も剥がれ落ちてしまったり、少しずつ校舎自体が傷んでしまっている」
震災から15年が経ち、吹きさらしの校舎は水が浸透することで風化が進んでいます。専門家からは、雨や雪への対策が必要とが指摘されました。
一級建築士木津田秀雄さん「普通は壁は落ちませんが、1回水につかっちゃったりずっと放置されていることでだんだん重たくなってひびが入ってしまった」
紫桃隆洋さん「ネームプレートの自分の娘の名前を見ながら、あの時の思い出やつらい時も何か生きた証として見ていた大切な物がある」
東日本大震災では、大川小学校で児童74人と教職員10人が津波に巻き込まれ亡くなり児童
4人が今も行方不明のままです。
紫桃さんは次女の千聖さん(当時小学5年生11歳)を亡くし、学校防災の在り方について宮城県と石巻市を相手取り訴訟を行うなど教育現場の安全対策と向き合ってきました。
語り部としても活動し、子どもたちが過ごした思い出の残る校舎を訪れた人たちに伝え続けています。
紫桃隆洋さん「モダンなデザイン性の高い校舎だった」
津波の教訓を次世代に伝えるためにも、紫桃さんは校舎の保存が欠かせないと話します。
紫桃隆洋さん「あそこで起きた事、子どもたち74人先生方10名が亡くなった事を伝えるためにあの校舎はぜひ必要ではないかと」
二度と同じ不幸は起きてほしくないという思いから、大川小学校の教訓を伝えるための活動を続けています。
2022年3月11日からは紫桃さんら遺族が中心となって、犠牲者の追悼と未来に思いをつなぐ催し、大川竹あかりを始めました。
5回目の2026年も、全国から訪れたボランティアとともに準備に当たりました。竹の長さを整えたりドリルで穴を開けたり、亡くなった子どもたちへの思いを込めながらの作業です。
竹の灯ろうの数は震災時の大川小学校の在校生の数と同じ108本、明かりがこぼれる窓を丁寧に作り上げていきます。
ボランティア「過去の事を知った方が良いなと良い機会をもらった。皆さんの顔を見に来ていることが正直な部分で、1年に数回しか会えないけどお互い話ができたら良いかな」
穴が開けられた竹は1本1本ブラシで磨かれ、鮮やかな緑色になります。会場の広場では紫桃さんが指揮を執り灯ろうの配置を決めていきます。設計図には、大きな円が2つ。
紫桃隆洋さん「レイアウトは毎年ちがいます。テーマは、つなぐ」
震災から15年となった3月11日、日が暮れるとともに温かい明かりが周囲を包み込みます。
来場者「たくさんの方が私自身も含めて自分事として、どれだけ想像力を持てるかが大事だと思う」「過去は変えられないから、そこから学んだ事を今と未来に生かすという気持ちを受け取った」
4年前に手探りで始まった催しは、今では多くの人たちに震災を知るきっかけを与えるようになりました。紫桃さんも優しく揺らめく竹あかりを見つめながら亡くなった娘、千聖さんとのつながりを感じていました。
紫桃隆洋さん「活動の中で娘を想像しながら娘へ語りながら作業したりお話したり、1つ1つ思い出しながら活動してきた15年。きょうの竹あかりも天国にいる娘やお友達、天国で見ている」
紫桃さんは、千聖さんが過ごした大川小学校を今後も伝承活動の拠点として残していくことを誓います。
紫桃隆洋さん「次の災害に備える、次の命をどう守るか。そういった事を考えてここが命の大切な学び舎として長く長く残していく。そういったことを自分は活動していきたい」